前回のブログがなぜか2月15日に公式ハッシュタグ福山雅治の部で1位になっておりました。(福山雅治ネタは「蜜柑色の夏休み」のみでしたが)公式ジャンルを逸脱しない範囲でこの歌詞に沿って続編いきます。


私が小学生の頃は東北新幹線はなかったので、特急列車と水郡線(ローカル)を乗り継いで祖母の家に行ったものです。(ヂーゼル汽車ではないですが)水郡線は当時2時間に1本位しかなかったので、郡山駅前の百貨店で待ち時間にゲーム(昭和の小学生はもちろん禁止です)をするのが楽しみでしたね



写真は、現代のものです


時は流れ、車を手に入れると、高速をすっ飛ばして行く事が出来るようになります。しかし、ここは高速のICからも1時間位かかり、何にしても時間がかかります。新幹線の駅からも車で30分位かかる上に、迎えを呼ばないと自力では行けないため私の選択肢にはありません。


このような不便なロケーションだからこそ、行く喜びが大きかったのかもしれませんね。


平成一桁の頃、祖母の卒寿のお祝いをするというので、セリカで馳せ参じました。いとこのたっちゃんもS13で登場しました。当時は皆独身でフッ軽でしたね。



こちらで紹介した通り当時プレリュード(リトラ)に乗っていた大叔母も登場し、当時のスペシャルティカー御三家が集結してましたね

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たっちゃんも大の車好きで、当時はS13、その次見た時はFD、その後ビートに乗ってましたが、先週見たらすっかり落ち着いてセレナに乗ってやがりましたね時代の流れか私がおかしいのか


閑話休題

今年はカシオ腕時計50周年らしく、HPにヒストリーが載っていて、私の時計もありました。


カシオ計算機HPより引用

私は腕時計は割とすぐに飽きて新しいのを買っては電池の寿命と共にやめてしまうのですが、この時計は祖母にもらった最後のお小遣いで買ったものなので、形見として大事にしています。しかしもう20年近い時が経つのですね



それでも今日も時を超え、いにしえのアイテムで時刻と走行距離を刻み続けます