東京に住んでる娘とは一緒に住んでる頃は殆んど話をしなかったものの、離れ離れになってからは、僕が東京に行ったときにご飯を食べたり、娘が福岡に帰省した時はどこかに出かけたりするようになり、付かず離れずいい親子関係が築けているのではないかと思っています
今回はそんな娘との下関へのプチ旅行の模様をお届けしま~す
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【娘と共に平家ゆかりの下関へ 前編】
2022年10月8日(土)、曇り☁
先日東京で会った日以来、ほどなく一時帰省した娘から〜
『平家物語のアニメにハマっていて、平家ゆかりの地巡りをしたいの〜
』
と言われ、平家物語のハイライト、平家滅亡の地、下関を訪れました
車を停めたのは、関門トンネル人道入口(下関側)の駐車場で~

(本州と九州はトンネルで歩いて渡れるのよ~)

ここは源平合戦最後の戦場となった壇ノ浦合戦があった場所だけど、目に留まったのは巨大な大砲…

この大砲は
長州砲(八十斤加農(カノン)砲)と呼ばれる大砲の原寸大のレプリカで~

この大砲で幕末期の1863年に関門海峡を通る外国船を砲撃したことから、下関戦争(長州藩とイギリス・フランス・オランダ・アメリカの列強4国との間に起きた戦争)が勃発したものの、あっけなく敗れてしまい、長州藩はこれ以降、倒幕運動に向かっていきました

ここに来ると歴史オタクの僕は毎度のようにパチパチしちゃうけど、平家物語にしか興味ない娘の姿は見当たらず…
ならばと関門橋の方にテクテク歩いて行くと~

関門海峡を巨大タンカーが通り過ぎていったけど、壇ノ浦の戦いや下関戦争がここで行われたかと思うと、感慨深いものがあったよ~

その後もテクテク歩くと~

『おお~っ

』
そうそう、ここには
八艘飛びをする源義経像と~

入水後に遺体が晒しものになることを避けるため、碇を身体に巻き付けて、海に飛び込む直前の
平知盛像があり~

ここは平家物語ゆかりの地巡りとしては、最初に訪れる場所だと思うけど~

ここがみもすそ川公園と言われるのは、二位の尼 辞世の句…
『今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波の下にもみやこありとは』
から名付けたそうだよ~

因みに、ここには源義経像・平知盛像の竣工記念として設置された
滝沢秀明さんの手形や~


小泉幸太郎さんの手形…
また、
松坂慶子さんの手形や~

松平健さんの手形があったけど、源平合戦は
義経や
鎌倉殿の13人とか様々な大河ドラマで描かれてるよね~


とパチパチしたものの、依然として娘の姿はなく~

観光客向けに作られた(であろう)
御裳川橋を渡って~

テクテク歩き出し~


関門橋に近付くと~


『めっけ…

』
『遅いよ~

』
と文句を言われつつ、関門橋の真下を通り抜けて~

更に歩くと~


岩肌にへばりつくように建立されてる
立石稲荷神社に到着しました

この神社は、平家が西に下ったとき伏見稲荷の分霊をここに祀ったと言われている~

平家ゆかりの神社

さっそく「青ブロ」名物の急階段を登ろうかと思いつつ~


ここもキツそうだなと躊躇していると~

『先に行くよっ

』

と勢いよく登り出したので、僕も慌てて付いていき、本殿に到着

さっそく2人並んで~

『早くコロナが収まりますように

』
『娘を始め、家族一同幸せに暮らせますように

』
と静かに手を合わせました

それにしても、ここは映える写真が結構撮れるので~

娘ともどもパチパチして、2人とも大満足


まっ、登りが急ならば、降りるのも当然急だよね~

と言うことで、先ほどの道を戻ってきたけど、関門海峡はあまりにも平穏で、ここで凄惨な合戦が行われたなんて信じられなかったよ~


「娘と共に平家ゆかりの下関へ」は次回後編に続きま~す
