長崎原爆資料館と浦上天主堂で感じた平和のありがたさ | 青ちゃんのハッピー気分なブログ2(青ブロ2)

【春の長崎めぐり編 その2】


「原子爆弾落下中心地」を離れて、少し歩き~DASH!



千羽鶴がいっぱいある碑が見えてきたので、近づくと~DASH!



原爆慰霊碑があったので、静かに手を合わせ、
原爆でお亡くなりになられた方々のご冥福を祈りましたパーパー



それにしても、ここは原爆爆心地のそばということで、
たくさんの慰霊碑には真新しい千羽鶴が飾ってあり、原爆投下から70年を経た今でも、
人々の脳裏から風化せずに残っているんだなと実感することができましたひらめき電球



その後、「長崎原爆資料館」に向かうと~DASH!



まずは、「さるく像」を見つけたのでパチリカメラ



この頃には息子君も原爆への関心の高まりとともに、ポーズも普通になってました目

早速、常設展示室へ向かうと、被爆した浦上天主堂の側壁(再現造型)が展示されてましたが~DASH!



そのあまりの崩れ方に、言葉を出すこともできず~DASH!



僕も息子君もただ立ち尽くすのみでした汗



この惨状を引き起こしたのも、全長3.25m、直径1.52m、重さ4.5tの
長崎型原子爆弾「ファットマン」のせいで~DASH!



浦上地区の上空500mで炸裂した原子爆弾は~DASH!



大量の熱線を放出し、爆発から3秒ほどで、異常な高熱で地上を包み、
地表面の温度は爆心地で3,000℃~4,000℃、1km離れた場所で1,800℃、
1.5km離れた場所でも600℃以上に達したものと推定されています汗



その後、すさまじい爆風を引き起こし、
爆心地より1km以内では、一般の家屋は原形をとどめないまでに破壊され、
すさまじい爆風に人々は吹き飛ばされ、散弾のような無数のガラスや木片を全身に浴びたそうです汗



その後、熱線は大規模火災を発生させて~DASH!



時間の経過とともに、どんどん広まっていったそうです汗



しかし、原子爆弾が恐ろしいのは、目に見えずに人体を刺し抜く放射能で、
被爆による細胞破壊のため、爆心地から1km以内の人々は無傷であっても、
大多数の方々が亡くなられたそうです汗

そして、真に恐ろしいのは、放射線は身体の奥深くを傷つけ、
時が経つにつれて様々な症状を呼び起こし、大勢の方々が苦しまれてきたことは
皆さまご承知のことと思います汗

因みに、原爆投下後のこの地はこんな風に一面の焼け野原になったそうです汗


(この画像はお借りしたものです。)

ここには、熱線により表面が泡立ち、ぶつぶつした瓦や~DASH!



爆心地付近で発見された人間の手の骨とガラスが高熱のために
溶けてくっついたものや~DASH!



原爆によって発生した火災のために変形したサイダー瓶や~DASH!



爆心地で発見された頭蓋骨が付着した鉄かぶと等が展示されていましたが、
こうして記事を書きながらも、何で罪なき人々がこんな目に会わなければならなかったのか
強い憤りを感じました汗



昭和20年8月9日11時2分から時が止まった時計を見ると~DASH!



この凄惨な出来事については、しっかり後の世代に教える必要があるなと痛感しました!!



「修学旅行等で当地を訪れたことがある」と前編のコメントに書かれてる方が結構おられましたが、
来られたことがない方には是非一度お越しいただきたいと思っています!!

そして、一番忘れてならないのは核兵器は今も山のように存在していることひらめき電球



たった1発でもこれだけの惨状を引き起こしたのに、
アメリカ・ロシアを始めとする世界各国において、15,000発もの核兵器が保有されているそうですが、
1発でも多くの核兵器が処分され、1発たりとも永久に使用されないことを切に祈っています目



その後、セントポール通りをテクテク歩いて~DASH!



「浦上天主堂」にやって来ました音譜



浦上地区は、16世紀後半よりキリシタン布教の地として歴史を持っており、
1587年のキリシタン禁令からの長い迫害の歴史に耐え、
1873年(明治6年)禁制が解かれた後、20年の歳月をかけて、
1914年(大正3年)に「浦上天主堂」 、1925年(大正14年)に「双塔」を完成させましたひらめき電球

双塔の高さは26mもあり、東洋一の壮大さを誇っていた天主堂でしたが、
原子爆弾の爆風により、わずかに側壁を残しただけで、無惨に崩れ落ちたそうです汗

 


(この画像はお借りしたものです。)


さっそく入口から中に入りましたが~DASH!



1959年(昭和34年)に再建された「浦上天主堂」は見事な姿を見せていましたが~DASH!



その手前には、今も原爆で頭や腕を吹き飛ばされ、焼きただれた像がありましたが~DASH!



迫害されながらもキリスト教に対する信仰心、原爆の恐怖など~DASH!



様々な思いが脳裏をよぎり、平和の世のありがたみが身に染みて感じることができました汗



その後、天主堂の中を見学しましたが、荘厳な雰囲気に包まれていて、
被爆マリア像が飾られるなど、見所たくさんでしたひらめき電球



入口には1981年(昭和56年)にこの地を訪れたヨハネ・パウロ2世の銅像が飾られDASH!



その向かいには「信仰乃碑」が綺麗な青空の下にそびえていましたひらめき電球



その後、ここに来たら毎回立ち寄る「天主公園」にやって来ましたが~DASH!



ここの最大のお楽しみは、この遊具で~DASH!



勢いよく滑り出し~DASH!



楽しそうに1周回っていましたよ~チョキ



『うんうん、男の子は元気であれ~』と心の中で呟きつつ、この地を後にしましたパー



次編は待望のランチ編、今回も美味しいお店が登場しますよ~パー


【「青ブロ」のバックナンバー】

1「広島原爆ドーム」

「1945年ヒロシマの暑い夏」編



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