【京の七夕編 最終回】
京都の夜を満喫した翌朝はいつものように目覚めがよかったので
早朝散歩のスタート地である「八坂神社」
にやって来ました
(と、言ってもここまではタクシーでしたが・・・)
この日はまだ朝6時すぎだったこともあり、人気(ひとけ)もまばらで
「八坂神社」については改めて言うまでもないとは思いますが
全国の祇園社の総社で、厄除け・厄病退散・商売繁盛を授かる神社として知られ
7月に行われる祇園祭とは、この神社の祭礼なんですよ~
だ~れもいない境内を歩き~
「大国主社」は「八坂神社」の末社で、ご祭神は、「大国主命(おおくにぬし の みこと)」
ワニに毛皮をはがされた「因幡の白うさぎ」を助けた神様としても有名ですよね~
『家族一同が幸せに暮らせますように。また、平和な世の中になりますように』
との願いを込めて、静かに手を合わせました
そして、「舞殿」と「本殿」が厳かに見えてきましたが~
「舞殿」も~
「本殿」も風情溢れる雰囲気がスゴくよかったですよ~
ここでも、先ほどと同じお願いをしたのは、言うまでもないですね
東へ東へと歩きました~
それにしても、朝日に映えるこの雰囲気って、スゴくいいよね~
実は、「円山公園」に来たのは、この銅像を見たかったからで~
ここにいるのは、大好きな坂本龍馬(左)と中岡慎太郎(右)なんですよ~
二人は共に京都市内の「近江屋」で非業の死を迎えますが
明治時代まで生きながらえてもらいたかったですね~
そして、再び「八坂神社」の「西楼門」に戻ってきて、「四条通り」をパチリ
う~ん。さすがに時間が早いせいか、車も走ってないですね…
お茶屋街として名高い、「祇園」を南北に走る「花見小路」を歩きましたが~
そして、日本の伝統芸能を鑑賞することができる「弥栄会館」
と~
「都おどり」が開催される「祇園甲部歌舞練場」
を横目に見つつ、引き返しました~
そして、再び「四条通り」を歩き出し、「南座」の前を通り抜け~
「関ヶ原の合戦後」のすさんだ世の中に「かぶきをどり」を披露した
歌舞伎の元祖ともいわれている人なんですよね~
そして、「四条大橋」から南を眺め~
次に、北を眺めましたが、どちらも街中とは思えないような雰囲気が最高でした
そして、ここには昨夜の晩餐の地でもある「川床」もありましたよ~
その後、「木屋町通り」を北に向かいましたが、この辺りは幕末の志士たちが闊歩した場所で~
この風情溢れる「高瀬川」を見ていると、往時に想いを馳せました
そして、通りを曲がるとこの風情たっぷりの建物が見えてきましたが
古高俊太郎は、この地に「枡屋」を構え
勤王の志士たちの討幕活動の拠点となっていましたが
彼が新選組に捕えられ、過酷な拷問により自白させられたことがきっかけで
勤王の志士たちが集まる池田屋における「池田屋事件」へと発展していくんですね
そして、「河原町通り」を歩くと~
坂本龍馬と中岡慎太郎が非業の死を遂げた「近江屋」の跡地にたどり着きました
あの日龍馬がこの場所に泊まらなかったら、二人とも生き永らえたかもしれないかと思うと
歴史に「もしも」は禁句でしょうが、近くにある「土佐藩邸」に泊まってほしかったですね~
そして、再び狭い路地に入っていくと~
ここは土佐藩士だけでなく
先斗町や木屋町などの周辺の町衆から熱心な信仰を集めていたそうです
先ほどの「近江屋」跡地からこの地まで、わずか徒歩5分
この距離を考えると、なおさらここに泊まってほしかったですが
今さら言っても仕方ないですよね~
そして、北に歩くと坂本龍馬が定宿としていた「酢屋」を発見し~
「三条通り」を歩くと、居酒屋の「池田屋」にたどり着きました~
新選組の名前を轟かせた場所も、今では居酒屋になっていて
これも時代の流れなんだな~と実感させられました
今回の早朝散歩はこれにて終了しましたが、このコースを歩くには1時間~1時間半くらい
これだけの時間でこれだけ歴史の舞台を見れるのも、京都ならではですね
「京の七夕」編はこれにて終了です
それにしても、これだけ書くのは歩く以上に疲れました…
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