【歴史溢れる長府編 その2】
「功山寺」を出た後に訪れたのは、「長府毛利邸」
「長府毛利邸」とは、明治36年(1903)に
長府毛利家14代元敏(もととし)によって建てられた邸宅で
明治天皇の行在所(あんざいしょ)としても使われたところなんですよ~
早速入口から中に入りましたが~
まずは、大好きな顔出しパネルで、『はい、チーズ』
久々に見つけた、大好き顔出しパネルだわ~
真ん中にいるのは坂本龍馬ですが、左から順に三吉慎蔵、お龍、三吉周亮、印藤聿など
長府にゆかりのある面々が勢ぞろいしていましたよ~
そして、再び元気よく歩き出すと~
漸く「長府毛利邸」にたどり着きました~
この邸宅は外見も室内も見事でしたが~
圧巻だったのは、「明治天皇御宿泊の間」
さすがに明治天皇をお迎えした部屋だけあって、見事だよね~
また、ここには「丹頂鶴と青竹図」などのふすま絵もあり、風流だったよ~
そして、紅葉も~
庭園も「毛利邸」の名に相応しく見事だったよ~
その後、「毛利邸」を離れて、市内を散策しようとしたものの
珍しく道に迷って右往左往していたら
散歩中の初老の男性に「案内してあげますよ~」と声をかけられ
折角のご厚意に甘えることにしました~
その男性はこの町の歴史に詳しく、色んなエピソードを教えてもらいながら
練塀(ねりべい)が続く家並みが城下町らしい雰囲気をかもしだす「古江小路」を歩きました
この雰囲気、まさに城下町って感じですよね~
ここには、侍医(じい)を務めた格式のある菅家などがありましたが
この長屋門は、医家随一のふさわしい構えを見せていて
武家の屋敷構えとはちょっと違っていい感じでしたよ~
そして、今では公園となっている「薬草園」を案内してくれて~
名物の「しだれ桑」のことを教えてくれました~
因みに下関市は日本で最初に中国から蚕の卵がもたらされた地であり
江戸末期から昭和初期まで蚕糸の都として繁栄した長野県上田市へは
ここから広がっていったそうです
この「しだれ桑」はその縁で上田市から寄贈されたたものだそうですが
上田市と下関市が蚕糸で繋がっているなんて、まだまだ知らないことがいっぱいですね
そして、次に着いたのは「忌宮神社」(いみのみやじんじゃ)
ここで初老の男性とはお別れ
知らない土地で温かい人情に触れることができるのも、旅の醍醐味ですね~
初老の男性の方、ご覧になっていないと思いますが、この場を借りてお礼申し上げます
『ありがとうございました。おかげでいい思い出が出来ました』
ここ「忌宮神社」は古事記・日本書記にも登場する古式ゆかしき神社で
199年に福岡市の香椎で亡くなった仲哀(ちゅうあい)天皇を
神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓征伐の帰路
この地に祀ったことが始まりと伝えられています
今では「長門国二の宮」となっていますが、創建されて約2000年
古事記・日本書記に登場する神社なんてスゴいですね
でも、息子くんにはそんな歴史は全然関係なく、必死で鳩を追いかけていました~
そして、ドラゴンから出るお清め水で手を洗って~
早速参拝へ~
『みんなが幸せに暮らせますように』
「青ブロ」を始めてから随分色んな神社へ参拝しましたが
今回もいい神社へ参拝することができましたよ~
無事に参拝も終わり、次の場所へ向かいました