1945年(昭和20年)8月6日8時15分17秒、アメリカの爆撃機「エノラ・ゲイ」が

原爆ドーム西隣にある相生橋を目標として、原子爆弾を投下しました

その原子爆弾は、上空約580mの地点で炸裂し、広島市を一瞬にして壊滅させたのです

正確には分からないみたいですが、同年12月までに亡くなった方は約14万人とも言われています

打ち合わせ後、戦争の悲惨さと平和のありがたさを感じるために「原爆ドーム」にやって来ました

間近で見ると、その凄惨さがリアルに伝わってきて、言葉も出ません

それもその筈、原爆炸裂後、地表温度は3,000℃にも達し

秒速440m以上の爆風が襲ったのですから

この姿を世界中の方に見ていただき、戦争の悲惨さを感じてほしいものですね

因みに「原盤ドーム」は、当時「広島県産業奨励館」と呼ばれていました

その威厳のある姿が一瞬でこんな姿になったそうです

当時の姿を見るにつけ

子供たちを始めとする罪のなき人たちのかけがえのない命が

何故犠牲にならなければならなかったのか

投下目標だった相生橋の上で、やり場のない怒りを込めて、ただただ立ち尽くしていました

その後「広島平和記念公園」に移動し~

平和のありがたさを噛み締めながら、一歩ずつ歩きました

ここには「平和の鐘」や~

佐々木貞子さんをモデルとした「原爆の子の像」がありましたが

そこでは修学旅行中の大勢の学生と遭遇しました

戦争の悲惨さと平和のありがたさを身を持って体験している彼らの背中を見ているうちに

僕たち大人はこれまでどんな事をしてきたのか

これからどんな事をしてあげられるのかつくづく考えさせられました

原発問題・消費税増税に揺れる日本において

彼らがこの国に生まれてよかったと思えるよう、微力ながら頑張っていきたいものです
