終戦の年の4月、作家の太宰治は三鷹の家で米軍機の空襲に見舞われる。家屋が破壊されるも何とか難を逃れた彼は、甲府にある妻の実家へ疎開する。しかし、米軍は大都市以外の地域にもしばしば奇襲を仕掛けるようになっており、一家は運悪く避難先の甲府の家でも被災することになるー。


『薄明』は、戦後になってからこの甲府での体験を追って書いた小説で、昭和21年刊行の新紀元社の創作集『薄明』に収められた(雑誌への発表はなし)。わずか19ページの話ながら、生命の危機に瀕した時の一家の行動を一人称で仔細に書き綴っている。

太宰は一文が非常に長い作家で、ちょっと読むと気分で筆を進めているようにも見えるが、元来几帳面で、作品の仕上げには余念がない人である。読み手に出来事や心理を的確に伝える術を心得た職人と言っていい。この『薄明』は題材の普遍性に加え、毛羽立ったところのない静かな語り口が魅力で、これまでに何度か読み返している好きな作品の一つだ。

・・・・・・・・・・・・・

対人関係に神経質で、生活の甲斐性のない文士が、自宅を焼け出されて他人の家に厄介になる。当人にはこれだけでも相当な気苦労となるが、空襲の10日前から、五才の長女と二才の長男が流行性結膜炎にかかり、特に長女の目は重症で瞼が腫れて開かない状態になる(太宰は「失明状態」と書いている)。子供好きの父は酒にも酔えないくらい気が気でなくなり、元来医者の言うことをあまり信用しない彼は、実は結膜炎ではなく、もっと重い病気ではないのかと疑い始める。きっとこれは良市民の暮らしをして来なかったことが招いた不幸なのだと、激しく自己を責めた。

ある晩、空襲警報が鳴ったと同時に、焼夷弾攻撃が始まる。彼は愛娘を背負いながら家を飛び出し、弾が落ちるたびに布団をかぶれと妻に叫んだり、周りの村人にも火を消せと呼びかけたりした。日ごろ周りから全く頼りにされていない男が、この時ばかりは一家の長として、必死で自分に出来る限りの務めを果たした。

周囲の畑を何ヵ所か逃げ回ったあと、その夜は野外に布団を敷いて休む。空襲が去ってからも、まだ近くに明々と燃え盛っている農家が見える。

予想はしていたが、果たして家は焼かれていた。義妹は翌日から早くも食糧の調達に出かけて行き、焼け跡でおにぎりを作っていた。太宰の方は、家から逃げる時に見つけた値打ちのありそうな海軍の懐中時計をポケットに入れて持ち歩いており、これが残ったよと得意気になって義妹に見せる。そして目の見えない長女のおもちゃになるぞと言って、針音を聴かせようとその手に渡すと、女の子はうっかり地面に落とし、時計のガラスは砕けてしまう。

このように、焼けた住居を目の前にしても彼はどこか気楽なままであり、差し迫った現実の苦難を凌ぐための智恵などは全く浮かばない男だった。やがて一家は同じ村にある彼女の知った家に住まわせてもらうことになった。

間もなく、空襲で被災した県立病院が近所に移転してきたことを知り、早速彼と妻は子供たちに目の治療を受けさせる。二日後、長女の目は開いた。結局のところ、彼が心配したような難病でも奇病でもなかったのだ。父は嬉しさのあまり、焼けた家を見せに娘を連れて行った。


「ね、お家が焼けたちゃったろう?」

「ああ、焼けたね。」と子供は微笑している。

「兎さんも、お靴も、小田切さんのところも、茅野さんのところも、みんな焼けちゃったんだよ。」

「ああ、みんな焼けちゃったね。」と言って、やはり微笑している。

・・・・・・・・・・・・・・

別々の場所で二度まで空襲に遭い、先の見えない暗い絶望の淵にあった太宰にとって、娘の目が治ったことは一条の光明がさしたような出来事だった。子煩悩で無邪気な父の喜びは想像に余りあるもので、それはそのまま読者の喜びとなって残る。

私はこの作品を読んでいると、太宰の名作『斜陽』に出てくる女性の、ある言葉を思い出す。


「幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに光っている砂金のようなものではなかろうか。」


世の中は、表面上は人間の希望を打ち砕くような悲しい出来事ばかりで埋め尽くされているかに見えても、その中でふと、生きている者の心を穏やかにする小さな幸福が訪れる。太宰のいう幸福は、むろん実利や欲望を満たすところのものではなく、人間の心でしか見たり味わったりすることのできない主観的な喜びだろう。川底に幽かに光る砂金の美しさに値する幸福を、彼自身は恐ろしい空襲の後で確かに味わっていたと思う。

制空権を失っていながら、「さあ本土決戦だ」という、さもそれを待ち望んだかのような負け惜しみの標語が生まれる。アメリカとの戦争が末期症状を呈し始めた中で、太宰にも次なる時代への思いが去来していたことは想像に難くない。彼は小林秀雄と同様、戦後の知識人たちの変節を嫌った文士の一人だが、それは欺瞞のない良心を新しい日本に期待する純粋さゆえの事だっただろう。小説の題名は、そんな新時代への希望と長女の目の快復を、夜明け前の淡い光に例えたものではないかと思う。