ローター・コッホ独奏によるモーツァルトのオーボエ四重奏曲のレコードは2種類存在し、ベルリン・フィルハーモニー・ゾリステンと共演した1965年盤と、アマデウス四重奏団員との1975年盤があります(いずれもドイツ・グラモフォン録音)。私の大好きなオーボエ奏者ですが、かなりの点の辛い聴き手でも、コッホの完璧な技術と芸術性の前には平伏せざるを得ないのではないかと思います。
ヘルベルト・フォン・カラヤンはベルリン・フィルハーモニーの公演時に、楽員のローテーションに関わりなくオーボエに彼を起用するほど厚く信頼を寄せていました。楽団側としては勤務上の規則が指揮者の一存で破られることは愉快でなかったでしょうが、それは部外者にはどうでもよい事で、全盛期のカラヤンの芸術の一端をコッホ達が支えていたことは、世界中のレコードファンにかけがえのない音楽的恩恵をもたらしたと言えます。

コッホが音を出す時はいつも、寒い暗闇に火が灯るかのごとく、凝集された熱が周囲に放射され、その刹那、空間が独特の乳白色に染まる。音質は大変ふくよかで柔らかくもあるが、弦にも金管にも負けることのない不思議な張力を持っている。そしてもとより結束の強いベルリン・フィルの団員であるから、個人プレイ的な技巧には走らず、他のどの楽器とも音色やリズムが緊密に溶け合い、音楽をより上質なものへと高めてゆく。これはモーツァルトのオーボエ協奏曲の華麗なソロを受け持った時にさえ崩すことのない姿勢でした。


二種のオーボエ四重奏曲では、共演のベルリン・フィルハーモニー・ゾリステンとアマデウスのどちらも素晴らしく、10年の隔たりがあるコッホのソロも甲乙付けがたい完成度を示しています。ソロの性格の違いは確かにあって、前者が和やかで演奏の体温としては平熱的であるのに対し、後者はピッチが僅かに高くなり、やや沸点に近いところで音楽が作られているように感じます。旧盤以上に彫琢の度が進んでいると言えますが、本能的な部分で自己への厳しさがあり、過剰な洗練に聞こえることはありません。

ブランディスがリーダーのゾリステンはコッホの日頃からの仕事仲間であり、さすがに演奏の息はよく合っています。アマデウス四重奏団より幾分生真面目ですが、後者と同様、自身の確かな技術に溺れることがなく、音楽への郷愁を滲ませた温かい演奏を聴かせます。対してブレイニンが率いるアマデウス四重奏団は、高貴さよりも温和なアンサンブルで以てコッホのオーボエを優しく包み込む。どちらも端麗な味があり、甘美さに傾きすぎない音楽づくりに好感が持てます。

新旧の順位を定めることは私にはできないので、ここでは二つの名盤名演奏として紹介するに止めておきます。