その長大さに退屈を覚える人もいるバレエ音楽「ダフニスとクロエ」ですが、私個人はラヴェルの管弦楽曲中で一番傾聴している思い入れの深い作品です。
日本では昔からソナタ形式で書かれた交響曲、室内楽曲、器楽曲が芸術的に高評価を受ける傾向があり、来日する演奏家が主催者側の要望を聞いて、なぜ日本人はソナタ形式の曲ばかり聴きたがるのかと首をかしげることがあるそうです。国民性と言ってしまえばそれまでですが、殊にバレエ音楽、オペラとなるとどこか亜流のクラシックのように感じる人間が多くいるのは、日本人の私から見ても不可解極まる現象です。ベートーヴェン、ブルックナーならばともかく、せめてモーツァルト好きを自任するなら歌劇、チャイコフスキー好きならバレエ音楽に各々の作家の才能が極まっているという事を理解してほしい。
一方、演奏時間が極端に長かったり、外面が平板なために敬遠されがちな作品を、私は割合好んで聴きたがるところがあります。バレエ音楽「ダフニス」は最初は少々冗長に感じられても、繰り返し聴くほどに独特の得がたい旨味が出てきます。ここに挙げる名指揮者たちによる「ダフニス」は、正にそういう作品の内なる魅力を十全に引き出した演奏ではないかと思います。
ステレオ時代の初期に、欧米の主要レコード会社はそれぞれフランス物で定評がある大指揮者を迎えて「ダフニス」の全曲盤を製作しました。以下。
RCA(1955年・ミュンシュ指揮)
フィリップス(1959年・モントゥー指揮)
デッカ(1964年・アンセルメ指揮)
EMI(1962年・クリュイタンス指揮)
ともに甲乙のつけ難い優秀録音盤で、新時代を迎えた各社の意気込みと使命感が伝わってきます。ノイズとかSN比を採点基準にするのでなければ、これらの録音はおよそ21世紀の現代では望みえない肉感とリアリティーを持った再現芸術だと言えるでしょう。
このうち、初めて聴いたのはクリュイタンス指揮のCDで早や30年近く聴いています(のちSACDに買い直し)。パリの楽団ならではの色彩感を強みとする当盤は確かに不滅の魅力を持っていますが、後年はどちらかと言うと、音楽の悠然とした運びが風格となって迫るアンセルメ盤に心が傾いています。この曲に限らず、クリュイタンスの音楽は滋味よりも才気が勝るところがあって、後から心にじわりと滲み入るアンセルメの指揮の方が練達の芸という趣があります。絃と管が柔らかに溶け合った手兵スイス・ロマンドの音は夕映えの湖水のさざ波のように美しく、いつまでも耳の奥に響きの残像を止めます。

あと我が家にあるのはミュンシュとモントゥーの全曲盤。前者は録音が飛び抜けて鮮明なのとオーケストラの技術の正確さが強みですが、音楽的にはあまりに明快すぎて陰影に乏しい。アメリカ文化が誇るべき諸々の長所が曲の表現において裏目に出てしまった感があります(しかしこの優秀な録音がフルトヴェングラーの死の二ヶ月後に行われたというのは驚きです。どうせならこの音の水準でフルトヴェングラーを録って欲しかった)。
アンセルメに引けを取らないほど貴い聴後感が残るのは、初演者であるモントゥーがロンドン交響楽団を指揮した盤。初演者という事にこだわって聴く必要は全くありませんが、器楽的な正確さの中に奥ゆかしい品性を漂わせた大変な名演奏です。
4者ともに名演には違いなく、おそらくこれ以後に出ている後進の指揮者による盤はさらに手さばきが巧みなのだろうと想像します。けれども指揮者と楽団への敬意をより強く感じさせ、曲の神髄にまで導いてくれる気がするのは、私の場合アンセルメとモントゥーの二枚です。