松下幸之助・著『商売心得帳』(昭和48年)より引用。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「商売冥利」

商売をはじめて間もないころ、ある先輩の方から、こんな話を聞きました。 
ある町に立派なお菓子屋さんがありました。そこに、ある日一人の乞食が、まんじゅうを一個買いにきたのです。しかし、そういったいわばご大家ともいわれるそのお菓子屋さんに、たとえ一個にしろ乞食がまんじゅうを買いにくるというのは、これは珍しいことだったのです。 
それで、そこのお店の小僧さんは、まんじゅうを一個包んだのですが、なにぶん相手が相手だけに、ちょっと渡すのを躊躇しました。 
すると、そこのお店のご主人が声をかけたのです。 
「ちょいとお待ち、それは私がお渡ししよう」 
そういって、そのまんじゅうの包みを自分で乞食に渡し、代金を受け取ると「まことにありがとうございます」といって深ぶかと頭をさげたのです。 
乞食が出ていったあとで、その小僧さんはふしぎそうにたずねました。
 「これまでどんなお客さまが見えても、ご主人がご自分でわざわざお渡しになったことはなかったように思います。いつも私どもか番頭さんがお渡ししておりました。きょうはどうしてご主人ご自身があんな乞食にお渡しになったのですか」 
そうすると、ご主人はこう答えたのです。
「お前がふしぎに思うのももっともだが、よう覚えておきや。これが商売冥利というものなのだ。なるほど、いつもうちの店をごひいきにしてくださるお客様はたしかにありがたい、大切にせねばならん。しかし、きょうの人の場合はまたちがう」 
「どうちがうのですか」 
「いつものお客さまはみなお金のある立派な人や。だからうちの店にこられても不思議はない。だがあの人は、いっぺんこのうちのまんじゅうを食うてみたいということで、自分が持っている一銭か二銭のいわばなけなしの全財産をはたいて買うてくださった。こんなありがたいことはないではないか。そのお客さまに対しては、主人の私みずからこれをさしあげるのが当然だ。それが商売人の道というものだよ」 
これだけの話ですが、何十年かたった今でも、ハッキリ頭の中にのこっています。そして、このようなところに商売人としての感激を味わうのが、ほんとうの姿ではないかという気がしているのです。 
(p.22、23)
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朝職場に行くとき、電車の中で何気なしに読んでいた一章ですが、商売人としてより以前に、人間として折り目正しい態度と心をそなえたお菓子屋さんの主人の言葉がいたく心に滲みました。何か涙ぐましくなるお話です。
 先輩からこの話を聞いて以来、いつまでも自らへの教訓として忘れることのなかった松下幸之助さんも立派な経営者だと思います。