ごとくますぐに
のびのびと
そだたぬものか
人間が子も
御風
2018年秋、糸魚川土産に買った薬石の湯呑に印字されていた筍の歌の書幅。
湯呑では「人間の子も」、こちらは「人間が子も」。どちらが元の表記かは分かりませんが、他の書幅や糸魚川中学校にある歌碑では「ますぐに」が「すなほに」に変わっていたりします。一般に歌を書として表現するときは紙面上の美観が優先され、漢字・平仮名・変体仮名の使い分け、或いは言葉そのものの入れ替えが割合自由に行われます。良寛に憧れた相馬御風は、人一倍書の世界に深入りし、筆を執ることによって自己修練を積んだ文人だったので、歌集どおりの漢字・平仮名を組み合わせただけの歌幅は存在しません。
同じ早稲田大学を出た3才年下の若山牧水に、
「若竹の伸びゆくごとく子どら等よ真直ぐにのばせ身をたましひを」
という歌があります。こちらも子供への清い思いが込められた歌ですが、4人の子宝に恵まれた牧水は我が子の死を経験することは無かった人です。対して御風は3人の愛児を早くに失っており、その薄幸に対する深い嘆きと、生きている子供たちの健やかな成長を願う気持ちに一層切実なものがあったと思われます。爽やかな五月の空になびく鯉のぼりを連想させる牧水とは異なり、自らの試練となった家庭の重い現実を反映した歌風になっています。しかし双方ともに、ニュアンスからして愛する我が子に向けたと云うよりは、世の中の子供全般に温かい眼を注いだ歌であるように思います。
そして歌の明暗、性格にかかわらず、御風の筆はいつものびのびとして素朴で、滴り落ちる清水のような気持ちの良い雰囲気があります。落款の特徴から老年期より前に書かれたと思われる作品ですが、氏は昭和初期にはすでに、良寛の真似事とは言えない独自の書風を身に付けるに至っていました。