このところ毎朝訪れている仙台東照宮の本殿近くに、祭神である徳川家康の家訓が掲示されています。
当社は仙台の二代藩主伊達忠宗の命により建てられたもので、このような立派なお宮を江戸から遠く離れた藩が自ら造営したことは、徳川幕府の権勢の強大さを物語っていると言えますが、それよりも後世に伝わる家康の訓示が、全く古びない説得力を持って我々の心に訴えかけてくることに驚きを禁じ得ません。家訓などは単に統率者の権威を維持し続けるための建前にすぎない、という皮肉な見方もあるでしょうが、乱世の荒波を潜り抜けた人間の言葉には、時代的な制約を越え、武家社会の価値観をも超越する普遍性が感じられます。

東洋の政治哲学に深い造詣をもつ安岡正篤氏の著作の中に、この家康の言葉と伊達政宗の家訓を並べて紹介した章があります。以下。
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 仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。禮に過ぐれば諂(ヘツラヒ)となる。智に過ぐれば嘘をつく。信に過ぐれば損をする。

氣長く心穏かにして、萬(ヨロズ)に儉約を用て金錢を備ふべし。儉約の仕方は不自由を忍ぶにあり。此の世に客に来たと思へば何の苦もなし。朝夕の食事うまからずともほめて食ふべし。元來客の身なれば好嫌は申されまじ。今日の行をおくり、子孫兄弟によく挨拶をして、娑婆の御暇申すがよし。

伊達政宗家訓


 多感の質を戦国の乱裡に鍛へ、悟道に精進した政宗の面目躍如たるものがある。此処まで徹底して考へ、そして実行して行かねば、群雄の中に於て国を保つ事は困難であった。彼等こそはまぎれもなき常在戦場であった。寸刻の油断も出来なかった。かく人間が真剣になればなる程而して一方理想に燃ゆれば燃ゆる程、己を責めざるを得ない。さすれば必然神仏に帰依して道を求めざるを得ない様になる。昔の名ある武将には皆かゝる経路によるこまやかな内面的磨練があり、そして此の磨練が又戦場に於ける剛勇となる。此の点が大いに学ぶべき点である。苦労人といふ点に於ては政宗以上と思はれる家康も、亦政宗と同じ様な家訓を残してをるが、参考の為に左に記して見よう。

 人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なし。心に望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思へ。勝つ事ばかり知りて、負くる事を知らざれば害其の身に到る。己を責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。

(安岡正篤・著『百朝集』~十二「處世」)

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「人間が真剣になればなる程而して一方理想に燃ゆれば燃ゆる程、己を責めざるを得ない」という安岡氏の指摘は、両人の家訓を読む上の一つの要点となるでしょうか。「内面的磨練」・・他人にのみ向けられた人生訓では尊大に聞こえてしまい、かえって配下の者の心奥には届きにくい。浮世の苦い経験を積んだ末、我みずからを戒めるかのごとく書かれた言葉は、直接的な命令や自慢気な苦労話よりはるかに強い説得力を持つ。大勢の上に立つ人間は、そういう使われる者の微妙な人心をよく理解しているのかも知れません。

そして家康の言葉もよいですが、政宗の訓にある「儉約の仕方は不自由を忍ぶにあり。此の世に客に来たと思へば何の苦もなし。」というのも、処世のための知恵、修養の覚悟の程が窺えて唸らされる一節です。