大田垣蓮月(1791-1875)と富岡鉄斎(1837-1924)の短冊幅。
「うちわたすくろの小河になかるゝやとりあまりたるさなへなるらん
とし八十四 蓮月」
若かりし頃、勤王の志士に憧れた鉄斎は、侍童として京都の尼僧、大田垣蓮月と同居して勉学に励んだことがあり、鉄斎の絵に蓮月が画賛した合作が多く残っています。歌人、陶芸家でもあった蓮月尼の書は、髪の毛のように細く、丸くくねった独特の芸風ですが、齢八十を過ぎているとは思えない繊細優美な雰囲気があります。
蓮月に限らず、昔の歌人は短冊などにかな書きをしたためて歌を詠みました。即興的に浮かんだ歌を書く機会も多かったでしょう。それが昭和以降、戦後には書の心得のない歌人や小説家が増え、さらに現在ではパソコンの活字でしか作品を書かない人が多くなった。日常生活全般においても悪筆が少しも恥にならない時代になってしまいましたが、書く量の多い小説家ならともかく、せめて歌を詠む人ぐらいは書と作歌を仕事の中で両立させてほしいものです。きっと当人の気付かないままに、歌の出来具合にも悪影響があるのではないかと私は思います。
鉄斎は蓮月の書を引き立たせるように、歌に詠まれた黒の小川の水面を淡く上品な筆致で描いています。面の割合から言って主役は書の方ですが、存在感のある絵です。