○雪の止むさみしさよ木の姿して
美規
齊藤美規(さいとう・みき1923- 2012)は糸魚川生まれの俳人。地元の白嶺高校で教鞭を執り、退職後は農業に従事しながら終生を糸魚川で暮らした人で、全国規模の団体である現代俳句協会の顧問、ほか新潟県現代俳句協会の会長職も務めたとのことです。
例年、深雪に閉ざされた生活を強いられ、時として多くの尊い人命が自然の威力に呑まれてもなお、越後人は心の底でどこか雪をいとおしむような親しみの情を持っているという話を相馬御風が書いています。雪の少ない年には長く待ちわびた友が来ない時のようなある種の寂しさを感じてしまう、と。
皆が御風のように自然界の現象を尊ぶ精神を持ち合わせているかどうかは別として、歌や俳句の世界にはその地に生きる者としての覚悟を自ずと感じさせる言葉がしばしば見つかります。この齊藤美規の毫した一句にも、普通とは正反対の雪国の人ならではの感性が現れているでしょうか。
その昔は降雪量が今よりはるかに多く、糸魚川に住む人の話では、大雪の時は家の玄関が閉ざされ二階から往来に出なくてはならない事も度々あったそうです。日本海側の街に特徴的な雁木の家屋が作られる所以ですが、恐らくは幼い頃からその地域に育った人間でなければ、耐え抜くことの難しい日常ではないだろうかと想像します。都会の整備され尽くした機能に寄りかかって雑駁な情報を得ながら暮らしていると、生きていることの有りがたさに無感動になったり、自分は何をするために生きているかという本然の自覚が薄れたりする。芸術の分野一つを取っても、生きることの本質とは何の関係もない空疎な流行や議論に価値観が左右されることが多々あるでしょう。
薄めの墨による作者自詠の書はどっしりとして骨があり、虚飾のない素朴な雰囲気を尊んでいるのがよく分かります。私は齊藤氏の事はよく知らず書を見たのも今回が初めてでしたが、一見して懐かしみというか、何とも知れず心惹かれるものを感じて、躊躇なくこの度の糸魚川訪問の手土産にした次第です。