ラロの「ノルウェー風幻想曲」。異国的情緒が濃く、楽想の変化に富む長い曲だが、ティボーは完璧な表現のテクニックと美しい音色によって誠に香り高い名品に仕上げている。

1930年、ロンドンでの収録。この時の二日間のセッションでエックレスのソナタ、ヴィヴァルディのアダージョといったヴァイオリン演奏史に残る名録音が生まれている。1920年代後半から30年代にかけて、彼の演奏はいよいよ心技が一体化し真の個性的な輝きを見せるようになった。ヴァイオリニストの芸術的創造力が現代よりはるかに高水準だった20世紀においても、ティボーが大胆な手腕を持つ孤高の独奏家であったことが、このSP一枚分の記録からも容易に察せられるだろうと思う。


APRという英国レーベルの復刻CD(2006年・2枚組)は過去の盤による演奏のイメージを一新する出来映えで、ヴァイオリンの音そのものに肉薄するような感触がたまらなく魅力的だ。CDでこれだけ生音さながらの再現ができるのならSP盤は要らないとさえ書いた批評家もいた。私はSPやLPが不要だとは全く思わないが、少なくとも現代新鋭の機器で録ったヴァイオリンの音よりは、実在感において数段優っていると感じる。媒体を介しないヴァイオリンの音を毎日年中聴いている身として、演奏云々より先にこの点にこだわってしまうのはどうも致し方ない。

なおこの幻想曲には同セッションで吹き込んだ2種のテイクが残されている。スタジオ収録とは言え、こんな次元の高い演奏が二度もできるのかという、奏者に対する別種の驚嘆を味わえるCDでもある。


ティボーの名演奏といえばヴィターリの「シャコンヌ」、モーツァルトの「ロンド」と協奏曲第5、6番、バッハのホ長調プレリュード、フランクのソナタなどが直ちに思い起こされる。何十年と愛聴し、私の心の糧であり続けているこれらの神品と比べても、ラロの幻想曲は内容の濃い演奏だと思う。