昨夜の記事の「広瀬川灯ろう流し」という名は、イベント主催側の公式な表記に従ったもの。「灯籠」を「灯ろう」と書いても、さしあたり意味を伝えるのに不都合はないだろうが、そのチラシを見た時、正直ここにも現れたかという思いだった。
ひっ迫(逼迫)、ら致(拉致)、まい進(邁進)、まん延(蔓延)、障がい者(障害者)・・新聞、雑誌、テレビを見ていると、こうしたかなを交じえた熟語表記が年々増えている。常用漢字に無いからとか、その熟語で呼ばれる人たちへの配慮だとか、置き換えの理由は幾つかあるようだが、何か侵してはならない神聖な領域に安易に手を加えている感じで、私は見ていて気持ちが悪い。また単純に文章の美観からしても、褒められた表記とは言い難いだろう。
常用漢字の枠外という扱いで平仮名にしている例が大半と思われるが、死語でも何でもない日用の熟語を使うに際して、なぜ字が読める読者に照準を合わそうとしないのか。一瞬間読めなかった人も、ちょっと辞典を調べるなどすれば判読できるのに、あまりに親切が行き届きすぎている気がする。
新聞や雑誌の文章は、往々世間一般の文化の基準になりやすいものだから、過度に読みやすさにこだわって日本語の格式を失わないようにしてほしいと思う。