1972年、ナタン・ミルシテインが独グラモフォンに吹き込んだチャイコフスキーとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。管弦楽はクラウディオ・アバド指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。
数枚所持していたミルシテインの音盤は十余年前の震災の後、自宅を整理する時にすべて手放してしまった。当CDはたまたま棚に残っていた一枚で、手に取るのはもう14、5年ぶりくらいになるだろうか、当時よりは幾らかグレードの高いオーディオ・システムで二つの名曲を再生してみた。
確かに何を弾いてもコントロールが十全に行き届く人で、頭の意思より先に指が動いているような印象をもつことが多い。音色は過剰にならない程度に美しい。そつなく弾きこなす分、楽曲の深淵を覗かせるということは少ないが、初めてクラシック音楽に親しむ人などには聴くのが楽なヴァイオリン奏者かも知れない。
大曲では時折シゲティばりの切り込みの鋭さも見せてくれるが、流儀的には、先ず精神主義の対極をゆくヴィルトゥオーソと見ていいだろう。
かつて私が、ミルシテインから受けた感触は大体以上のようなものだったが、今回聴いてみてやはり以前と変わらない感想をもった。録音時の年齢を考えるとかなり推進力のある演奏で、音符の歯切れもいい。だが弦楽器に特別な執心を持つファンならば、バッハにせよ、ブラームス、メンデルスゾーンにせよ、最終的な決定盤がミルシテインに落ち着くということはあまり無いのではないか。音楽に対する愛惜、信仰の力、主観による造形の妙味がやや希薄な奏者と私には感じられる。技術の骨組みがしっかりしていて、一定水準の演奏ができる人であるのに、惜しいところだと思う。