先週、食事をするのも忘れるほど夢中で読み耽ってしまった本。生々しい感動が薄れないうちに概要と感想をここに書き留めておきたい。
これは1978年に放映された同名のテレビドラマ(NHK)と提携した歴史小説。城山氏の作品がドラマの原作というわけではなく、小説の執筆とドラマ制作は同時期に行われており、内容は所々で異なっている。
主人公格と言えるのは堺の商人・呂宋(ルソン)助左衛門。あまり詳しい記録が残っていない人物らしいが、ここでは彼と周辺人物の行動を通じて、日本人がよく知る天下統一前後の怒涛のような歴史が綿々と綴られている。
助左衛門は若い頃から、海の彼方のルソン島へ行くという大きな夢を抱いていた。武家社会や茶人との関わりは深い人間だが、その窮屈な価値観に共鳴しきれず、各方面からの再三の誘いには応じないでいる。むしろ彼は大型船で海を往来する自由な商人として成功したかった。
自由貿易の港町・堺の有力者たちは、武器、弾薬、南蛮渡来の調度品などを献上しながら、各地の大名達と友好な関係を築いてきた。助左衛門を世話していた今井宗久は堺の豪商茶人だが、あの敵に回すと恐ろしい織田信長を巧みな駆け引きによって懐柔し、町を戦火から救ったりもした。血を血で洗う世の覇権争いをよそに、堺は才知と経済力をもってして町の平和を維持することができた。
また信長は残虐非道な征服者である半面、貿易、商売の振興に前向きな考えを持つ人間であり、先見の明もあった。その点、宗久や助左衛門にとっては魅力的な人物に映った。
堺衆は信長配下の秀吉とも当初は良い関係にあり、苦労人で話の分かる彼の采配には期待を寄せていた。だが信長の勢力を受け継ぎ、全国を手中に収めてからの秀吉は気難しくなり、景気のよい堺に対しても締め付けを厳しくした。そして西国に他の有力な貿易港ができたことも港町・堺にとって大きな試練となる。
もとは恭順な態度を保っていた堺の茶人たちは、次第に秀吉の無知わがままな振る舞いに辟易し始め、まず山上宗二が秀吉の勘気に触れて惨殺される。最も茶道に厳しく、そのことで秀吉から第一茶人の権威を与えられた千宗易(利休)は、他の商人のように本心に反する機嫌取りができない性格だった。茶の精神をわきまえない秀吉の言にも何かと背いてきたため、ある一件で主君のわだかまりは頂点に達し、切腹、さらし首に処せられる。
恩人今井宗久もすでに世を去り、堺は往時の華やぎを失いつつあった。助左衛門はお上を通さずに南蛮物資を派手にさばき始め、堺に豪奢な屋敷を建てる。秀吉がいよいよ彼を捕らえようとしている事を石田三成から聞き及んだ彼は、長く恋慕う女性・美緒のことを気にかけながらも間一髪でルソン島へ脱出する。
やがて秀吉は病没し、家康統治の時代へと向かう・・。
話はもう少し続くのだが、ここに登場する主要人物で幸福なまま一生を送った者はいないかも知れない。切ないまでに栄華と死、没落が背中合わせとなった世の中で、多くの人間が気骨ある太い生きざまを見せた。城山氏の文章は淡々とした現代風の叙述によっており、取り立てて凝った文面でないように見えるが、一つ一つの出来事の重みを的確に伝える術を心得た作家だと私は思う。
読者にとって最も頼もしげな人物は、動的エネルギーにあふれる助左衛門であろう。彼の果敢な行動力は、この悲劇の連鎖のような物語から、無常感や落日の愁いの影を払拭していると言える。
おのれの選んだ道に殉じた利休、キリシタン達の潔さ、自分の町を守ろうとする堺の豪商達の気概。皆がそれぞれの立場において命を張って生きている姿にも胸の内を熱くさせられる。
他方、世間を震え上がらせた信長、秀吉という男は大殺人者であるにもかかわらず、義理や情で動く面を多分に持ち合わせていることが分かる。助左衛門達から見れば、秀吉は最終的には憎むべき暴君でしかなかったが、長い物語のうちにはふと安心感を覚えさせる場面が幾つか出てくる。
純文学か否かというジャンル分けにこだわる人間は、この長編をあるいは通俗な大衆小説と受け取るかも知れない。だが、世渡り下手な人間や厭世的な変わり者を描くばかりが文学者の仕事ではないと私は思っている。ペンの力が実人生、実社会に与えうるプラスの作用というものを考えた時、『黄金の日日』は、今もって我々の批判に堪える歴史小説と言えるのではないだろうか。

↓松本幸四郎以下、当時の豪華俳優を結集したNHKドラマ『黄金の日日』(昭和53年)。