ブラームスはカラヤンにとって相性の良い作家のひとりで、殊に第1交響曲を最晩年まで愛し続け、得意にもしていた。ロマン派音楽をレパートリーの中核に据えていた彼としては、続く三つの交響曲もそれぞれ大切な曲目だったが、全公演記録を調べてみると、劇場での演奏効果の故もあってか第1番を取り上げる頻度が最も高かったことが分かる。


彼は仕事の分野として、レコード製作と聴衆相手の公演を厳格に区別しており、ライヴ録音の商品化をほとんど許可しなかった。しかし巨匠の没後から20年後、生誕百年を迎えたあたりから各放送局に残る公演記録が順次発売されるようになる。多くの実況盤の出現により、我々は冷静な完璧主義者のようなイメージを抱かれていたカラヤンの人間的相貌について、生前より多面的に捉えることができるようになったと言える。

しかし記録に残される場合、録音の精度やバランス等の条件により演奏の美感は大きく左右される。製品化となるとさらに大々的な改変も加えられるだろう。日本ライヴなどのCDを聴いていると、残念ながらカラヤンとグラモフォンのスタッフが長くこだわってきた録音美学とはかけ離れた音盤という印象をもつ。数種ある第1交響曲の実況盤にもそれぞれ手に汗握る面白さがあるが、以上のような理由から、ここでは指揮者の制作意志の下でなされたセッション録音から代表格のものを紹介することにしたい。


1959年、ウィーン・フィル(Decca)

1963年、ベルリン・フィル(Gramophone)

1977年、ベルリン・フィル(Gramophone)

1987年、ベルリン・フィル(Gramophone)


私は1960年代のベルリン・フィルの音、ならびに同時期のドイツ・グラモフォンの音質を管弦楽録音の理想としているところがあって、カラヤンが再録を繰り返した曲では覇気に溢れた60年代盤を好むことが多い。しかしブラームスの1番に限っては、63年盤よりも77年、87年の各盤の方が起伏が柔軟でかつ感銘深い。特に87年盤ではブラームスらしい温もりが増し、表情が繊細になっている。晩年様式のゆったりとした自然な流れの中に大シンフォニーの威容を不足なく表出した名演だと思う。

有名な63年盤は、指揮者が絶えず楽団の自発的なテンポを抑え込んでいるような演奏。隅々まで重厚で、音の一つ一つの出し方は丁寧だが、どこかリハーサル中のような冷めた空気が漂っていて、その性格が終楽章のコーダまで維持されている。私がこのLP盤を初めて聴いたのは小学4、5年の頃だったが、同じカラヤンの60年代の清新なベートーヴェンに比べ、ずいぶん間延びした演奏に感じられたものだった。同時期の実演ではもっと緩急自在な演奏をしているので、これはレコード用の堅実な表現にこだわり過ぎた結果だと見ていいかも知れない(似たような例として1964年のチャイコフスキーの「悲愴」が挙げられる)。

1959年、デッカ録音のウィーン・フィル盤は、カラヤンの第1交響曲としては初のステレオ収録となったもの。楽団の天性のひらめき、艶やかな弦の歌いぶりを生かしながら、切れのよい演奏を展開している。50年代とは思えない立体感のある音像は、グラモフォンの気の利かない剛健な音とはかなり性格を異にする。時々、録音会社とオーケストラを入れ替えたらどんなレコードが出来上がっただろうかと空想することがあるが、私はステレオ初期のグラモフォンもデッカも、それぞれに個性のある芸術的な音づくりをしたと思っている。


4種とも高水準の演奏、録音だということを断った上で、あえて自分の好きな順に並べるとしたら、87、77、59、63年となるだろうか。アムステルダム・コンセルトヘボウを指揮した初録音(1943年)から数えると、第1交響曲の盤歴は44年。この4枚を聴いていると、飽きるくらい幾度も振ってきた名曲に対し、カラヤンが晩年まで創造への確たる意思を保ち続けていたことに敬服せざるを得ない。