夕方にニュースを見て、強いショックを受けました。
門田さんのホームランは、1980年代に大阪球場(難波球場)、他に近鉄バファローズの本拠地・藤井寺球場で何度か見たことがあります。大阪球場ではファースト側からバックネットにかけての上段が「内野自由席」で、私はいつもその席で見ていたのですが、左打ちの門田は背番号60の後ろ姿を見せていることが多かった。今時のプロ野球選手のスタイリッシュな姿とは違い、中背でずんぐりした人でしたが、いざバッターボックスに立つと大変な貫禄があり、観客の目を一点に惹き付けるスター性を持っていました。そして彼のスイングの速さが並大抵でないことは遠目にもよく分かり、球の芯をとらえた時のバットの音は本当に壮快なものでした。
笑顔が子供のように純真で、プレイを離れた時も人間的に好感が持てる人でした。私は一度藤井寺球場で、指名打者でなく外野手をしている門田を見たことがありました。彼が右手にグローブをはめて守備に出ているのを珍しく思った近鉄ファンが「おい門田~、頑張れよ」と冷やかすと、スタンドを見て照れくさそうに笑っていたのを覚えています。
しかし、選手としては一途な頑固さを持ち、野村克也が四番打者である自分の都合から、三番門田を中距離ヒッターに仕立てようとした時にも、一流のホームランバッターを目指すという自分の信念を曲げようしなかった。上下関係の厳しい当時の球界にあって、先輩で監督まで兼ねた野村に楯突くというのは相当に勇気のいる事です。
そこから40才を越え現役引退するまで、門田はパ・リーグを代表するホームランバッターとして活躍し、数々の素晴らしい通算成績を残しました。スキャンダルもなく、真面目で愚直な野球人生を通した人だったと思います。
