ビクターが1990年代末から発売してきた高音質「XRCD」が機材劣化のため生産終了となるらしく、現在、大手ショップでは過去にリリースされた商品が特別価格で販売されています。
オリジナル・マスターテープを使い、業界初のハイビット情報による「CDダイレクトカッティング」を実現して話題となったXRCD。精細で高密度なサウンドを特長とする所謂「高音質CD」の一つで、オーディオマニア間での受けも上々だったようです。
私の大まかな印象を言えば、通常規格のCDでありながら音に雑味がなく、どの演奏も元々抱いていたイメージより優等生的に聴こえます。音に付帯するはずの空間の存在は消えて、楽音の成分だけがくっきりとした輪郭をもってスピーカーの間に浮かび上がる。これは本来のリアリティではなく、現代の先端テクノロジーを通してのみ体験可能な、きわめて特殊な音像だと言っていいでしょう。確かに新時代における諸々の「良い音」の条件をクリアしており、専門技師がこだわり抜いたというマスタリングの効果もよく出ている。そして、より新しい耳の感覚を持っている人達は、XRCDがあればもう従来のCDやLPを聴く必要はないと言います。
しかしこの点は私の感覚と大きく違っているようで、音質に感心することはできても、いまだ同じ録音の既発CDやLPレコードを処分しないでいるところに、自身のXR盤に対する微妙な感情が表れている気がします。「音がよみがえる」とは、演奏が本来の生の息吹きを取り戻すことをいうと思うのですが、XRCDの意図するところには蘇生と刷新の両方の要素がある。
はるか昔に、生に近い再生音を見事に実現しているLPやSPの音を追いかけても、デジタルの分野ではおそらくレコードを越えるリアリティは得られない。CDの制作サイドもそうと分かっているから、別角度からマスターテープに新しい光を当てる必要が出てくるのではないかと私は想像しています。仮に私が演奏家で、当夜のコンサートの聴衆がXR盤と同じ音で自分の演奏を聴いているとしたら、何とも気味が悪い。もっとおおらかな耳と心で音楽に親しんでもらいたいと思うことでしょう。
いまだそうした賛嘆と懐疑の入り交じった気持ちがあることを断った上で書かせていただくと、この「ワーグナー名演集」は、同じトスカニーニの「展覧会の絵」「ローマの噴水」などと並んで、めざましい効果を上げているXRCDではないかと思います。ワーグナーとしてはやや縦の線にこだわり過ぎている部分もあるように感じますが、指揮者と楽団の音楽に対する無償の熱意、真面目な心情にいつしか胸打たれてしまう演奏です。『ローエングリン』第1幕前奏曲、『トリスタン』前奏曲に聴かれる、弦楽器の息をのむほどの静謐さは従来盤でも感じ取れますが、当CDの精度によってその美感が格段に聴き取りやすくなっています。
私が好きな「夜明けとジークフリートのラインへの旅」の密度の濃い響きも、このアルバムの聴きどころの一つ。「意気に感ず」と言うのか、皆がトスカニーニの内なる情熱に応え、一丸となって腕を奮おうとする光景がうまく捉えられています。この中では一番古い1946年の『マイスタージンガー』前奏曲とともに、レコード史における管弦楽演奏の一つの理想形を見る思いがします。
