こちらは昨年末に出た名曲喫茶の情報誌。
写真が豊富で取材文も興味をそそる内容です。60代以上のクラシック音楽ファンならば、きっと私の世代以上に懐かしさがこみ上げてくる本でしょう。
かつて、この名曲喫茶なるものはもう少し全国的に点在していたのですが、現存する本格的な店は、ほぼ東京都内に集中するようです。生活様式の合理化が進んだ世の中にあって、歴史の香り漂う店が生き続けているというのは、都市の文化レベルの高さを証する現象だと思います。自宅にまともな鑑賞装置があるから、時間をかけて喫茶に音楽を聴きに行く必要はないと考える人が増えれば、名曲喫茶は廃れざるを得ない。下町の銭湯が消えゆく理由と同じです。しかし名曲喫茶の年季の入った壁や家具の中で再現される高級装置の音、店内のしっとりした雰囲気は一朝一夕に出来上がるものではない。個人宅で同じ音、同じ部屋の香りをにわかに再現しようとしても無理です。
現在、銭湯に時々通う人は、恐らく自宅に風呂がないわけではない。こうした喫茶を訪れる人も、今は自宅に装置やレコードがなくて聴きに行くのではないでしょう。懐古趣味の場合もあるかもしれませんが、多くは純粋に音楽のより良い姿を求めて、歳月に醸成された音の香り、空間の美を味わいに行くのだろうと思います。

ところで、世界的に見て最もレコードをよく聴く国だった日本でさえ、最近は音盤を買わない人が増えたと言います。何年前だったか、或る海外ヴァイオリニストのファンだという若い人がいて、実に素晴らしい演奏をすると言うから、CDはどんなのを出しているのかと訊くと、YouTubeで聴いているだけだから知らない、それもスマートフォンにイヤホンを付けて、だという。私は驚き呆れてそれきり話題を変えることにしました。
元来デリケートな性質であるヴァイオリンの音は、絃に強いと言われるLPレコードでも再生は非常にむずかしいもの。生のヴァイオリンの美質を少しでも知っていれば、あのギラギラした鮫肌のような再生音は30秒と聴いていられない。本当は綺麗な音を出す人でも、ひどくヒステリックな演奏に聴こえることもあります。
私は冗談ではなく、近い将来、演奏家は簡易な装置による再生音を模倣するようになるだろうと思います。かつてCD時代に入って安価なプレイヤーが普及し始めてから、ヴァイオリニストやピアニストの生の演奏が冷たい音に変化して行ったことは決して偶然ではない。人は好む好まざるとに関わらず、日頃身近に接しているものにはいつしか親しみを覚えるようになる。習慣が人の感性に及ぼす作用というのは大変恐ろしいものです。

そうした時代の趨勢は容易には止められないとしても、逆にわずかな決意、努力で音楽鑑賞の良い習慣を付ける手立ては幾らでもあります。中古のLPレコードもあるし、昔より音の柔らかいCDプレイヤーも沢山出ています。家庭の狭い自室でいい音を作るだけなら、別に高級器に何百万も注ぎ込む必要はないでしょう。
その一環として、時にはこの雑誌に紹介されているような店を訪ね歩いて、各様にこだわり抜いた装置でレコードを聴いてみるのも、大いに益あることだと思います。私もはるか昔、京都の名曲喫茶で聴いたヴァイオリンの音が忘れられず、その音色は今でも「良い音」の指標として、自分の心の中で燦然たる輝きを放っています。