年末は作業が深夜に及ぶ日が続き、自宅の装置で音楽を聴く暇はまるで無かったのですが、遅くに仕事を終えてから、工房でCDを鳴らすことが時々ありました。店にある装置の方がグレードは低いのですが、そういう一息つく時に耳に飛び込んでくる音楽は、のんびりした休日の昼間に聴くより深く心に刺さるという事があります。

⏬昔から好きだったワイセンベルクとカラヤンによるラフマニノフの協奏曲。激しい情念の高ぶりと物憂げな叙情が交錯するこの曲は、夜の帳の中でこそ聴き映えするところがあるように思います。
〇ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18

アレクシス・ワイセンベルク(ピアノ)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
録音:1972年9月 ベルリン、イエス・キリスト教会
発売:2006年・東芝EMI(CD)

管弦楽が非常に充実した力演で、名手ワイセンベルクのピアノ独奏がオーケストラ・パートの一部のように感じられるほどです。ピアノだけに興味がある人なら、ソロが伴奏に埋もれた感じの録音バランスに抵抗を感じるかも知れませんが、このカラヤンの演奏を聴くと、管弦楽による感情表出如何で、作品の彫りの深さが大きく変わる事が分かります。がなり立てる力演ではなく、大指揮者の采配のもと、ベルリン・フィルハーモニーは楽想の変化、音色感に細心の注意を払いながら重厚壮麗な音楽を作り上げます。
東欧系の作品を振っても、カラヤンは曲の品位を貶めるような野蛮な表現をとらない。いかに金管や打楽器が活躍しようと、繊細で柔らかな弦セクションの響きを覆い隠すことがないのは、このコンビのレコードを聴いている人なら周知のことと思います。これはベルリン・フィルがカラヤン就任以前から大切にしてきたデリカシーでもありますが、私など小さい頃から、この倍音豊かな弦の響きを当然のもののごとく聴いて育ったので、オーマンディやセルの振った米楽団のレコードは、音合わせは巧くても貧相で冷めた音に感じられたものでした(今もって自分のこの感覚は変わらないようです)。
曲として停滞感が出る寸前までテンポを落とし、時折、アインザッツが混濁気味になるほど音符の横の連なりを優先するスタイルは、70~75年あたりのカラヤン/BPOの録音に窺える特色です。これはコントロール・ミスではない。高度な造形性を持つオーケストラにのみ許される大胆な表現技法です。映像作品を見ると気づかれると思いますが、彼はもともと打点を棒ではっきりと指示しない。その拍を挟む前後の音の性格をむしろ積極的に体現し、拍のタイミングは多く楽員に任せている。このラフマニノフは音だけの記録ですが、まさにその指揮ぶりを彷彿させる無限旋律的な性格を持っていると言えます。
1960年代に、指揮者の大町陽一郎氏はカラヤンから「音というのは、合っていても合っていなくても面白い」と助言されたそうです。昨今は楽想を律儀に拍子で切り、無闇に音符を短くして音形を際立たせる指揮者が多い。これは一人二人の人間の流儀から派生したのではなく、明らかに時代の傾向と言っていいものですが、カラヤンの振るラフマニノフを聴くと、誇大的とか肥大化していると揶揄されようが、こちらの方が曲本来の熱に触れた演奏だと感じます。大編成オーケストラが本来目指すべき方向として真っ当だとも言えるでしょう。解釈としての正否のほどは知りませんが、少なくとも表現の土壌を狭くしたり、活気ある人間性の投影を妨げる条件下で行われる音楽には、私は心踊らせることができません。
美しいソロを繰り広げるワイセンベルクは、リリックな音を持つ感性の鋭い巨匠で、私の好きなピアニストの一人です。ロマン派を弾く技巧家としても申し分なく、かつ厚かましい征服欲がない。最初に聴いた録音が当盤でしたが、感情の振幅が大きいラフマニノフの核心を捉え隅々まで抜かりなく音楽を自分のものにしています。