タワーレコードの商品紹介より

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クライスラー・ファン大注目

「弦のBiddulph」がベル・テレフォン・アワー録音の復刻を開始

ベル・テレフォン・アワーは電話の実用化で大成功を収めたベル電話会社がスポンサーとなって、1940年から1958年まで放送されたアメリカのラジオ番組(1959年から68年はテレビで放送)。出演者はヤッシャ・ハイフェッツ、ヨーゼフ・ホフマン、エツィオ・ピンツァ、リリー・ポンスといったクラシック音楽のスターから、ベニーグッドマン、ビング・クロスビーといったジャズやポップスのスターを揃え、聴取者は8百万人から9百万人に達したという人気番組でした。クライスラーも1944年から1950年にかけて出演しましたが、その演奏はごく一部を除いて録音の形で世に出ることはありませんでした。

Biddulphは「個人所蔵の、望みうる最上のコンディションの素材」をもとにベル・テレフォン・アワーでのクライスラーの演奏をCD3枚に復刻する予定で、その第1弾となる当CDには、同番組で収録された協奏曲の演奏がすべて収められています。

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こちらは11月に発売された「ベル・テレフォン・アワーズ」の復刻CDの第一弾。あの王者クライスラーの至芸が史上最良の音質で記録された放送用ライヴで、選曲の充実度から言ってもヴァイオリン・ファン垂涎のアルバムです。モーツァルト、メンデルスゾーン、ブルッフと名協奏曲の断章が並びますが、私にとっては何よりもヴィオッティの協奏曲第22番が含まれていたのが大きな喜びでした(1945年録音)。


或るアーティストに対して敬愛の情が湧くようになると、他の演奏を聴いている時に「あの人だったらこの曲をどのように扱うだろうか?」という事が気になり出すものです。戦前のソリストの場合、演奏会では重要レパートリーだった曲が録音リストに見当たらないことが多々ありますが、ティボーのメンデルスゾーン、エネスコのブラームス、ジンバリストのモーツァルト・・例えばこんな記録がもし残っていたらアマチュア録音でもよいから聴いてみたいところです。クライスラーのヴィオッティもまた、長らくそんな幻想の中でのみ鳴り響く曲の一つでした。

彼のヴィオッティの22番はこの録音が唯一。自身の演奏様式に近づけるためソロとオケ両パートを改訂しているのは、原典主義者の反発を招きかねないところですが、エネスコ、フルトヴェングラーと同様、素直に他人の書いた通りに弾こうとしないのは作曲家を兼業する奏者の性でしょう。しかし、それがクライスラーなりにヴィオッティの音楽の生命、叙情を尊重した結果であることは、演奏を聴いているうちに理解できるようになります。
ヴィオッティは太く豊かな音を出すために今現在普及しているモダン弓を初めて考案するなど、非常に革新的な発想を持つヴァイオリニストだったのですが、作曲の方面ではパガニーニほどの個性を打ち出さず、古典派の世界から大きく距離を置かないところで仕事をした人です。この22番について言えば、短調の影が最後まで濃厚で、悩ましいまでに懐旧の情を掻き立てる。未来志向と言える要素がほとんど感じられず、人生の華やぎはすべて過ぎ去りし日々にあると言わんばかりの物悲しい作風です。これほどに人の感情を後ろ向きにさせる曲は、ブラームスが晩年に書いたクラリネット五重奏曲くらいかも知れません。
クライスラーのヴァイオリンでヴィオッティが聴けたなら明日死んでも本望だと、かつて五味康祐氏がエッセイに書いていたことがあります。事実、加齢による一部の不正確さを差し引いても、これは精神力の強い素晴らしい演奏です。クライスラーを知る人が先ず期待するであろう優雅な美音、ヴィオッティの曲に対して抱かれる繊細優美なイメージのいずれをも上回る芸術表現です。若者でさえ持ち得ない精神の張り、晩年のティボーに似た自在な伸縮性、そして聴衆を入れたライヴのためか、曲の進行と共にひたむきな性格も加わり、非常に濃密骨太なヴァイオリン音楽に仕上がっています。ブラームスがこの曲に感化されて自身のヴァイオリン協奏曲を書いたという逸話は、今回クライスラーの演奏で聴いてみて初めて納得できる気がしました。

https://tower.jp/item/5541492/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AF%E3%83%BC%E9%8C%B2%E9%9F%B3%E9%9B%86-%E7%AC%AC1%E9%9B%86