昭和の日中戦争、太平洋戦争のみならず、明治時代の日露戦争も敗戦ではないというだけで大変熾烈を極めた戦いでした。特に陸軍側で夥しい犠牲を払ったことは史実として有名ですが、海の連合艦隊にとっても大国ロシアは恐ろしい相手でした。決して神風が吹いたなどという偶然の結果ではなく、海軍は失敗の反省と緻密な作戦計画、そして長期にわたる猛訓練の末に、日本海海戦での圧倒的勝利を得ています。
日本の英雄となり海外にも名を馳せる存在となった東郷平八郎は、戦後は始終うつむきがちで寡黙な人間になったと伝えられています。戦いに勝つことの大変さ、怖さを思い知った彼は、戦場の陣頭に立った者として、この明治天皇の歌の真意を人一倍深く理解できたのでは無いかと思います。

遠くとも人のゆくべき道ゆかば
危うき事はあらじとぞ思ふ
↓箱の文字は東郷元帥のお付きで伝記作者として知られる小笠原長生(おがさわら・ながのり。海軍軍人、のち宮中顧問官)。
秘書のような存在だった小笠原氏による文献は、数ある東郷平八郎の評伝、研究書の下地になっています。また元帥の書の箱書の中では、彼の筆によるものが最も信頼性が高いとされています。