〇バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)
パブロ・カザルス(チェロ)
録音:1936~39年
これは2011年発売のSACDと同じマスターから作られた通常CDです。
巨星カザルスの無伴奏は過去数十年間に幾度もCD化されましたが、中では二種の「オーパス蔵」盤がファンの間で人気が高いようです。楽器の芯に肉薄するような近接感が他のリマスター盤を引き離して圧倒的であり、これを聴いて初めてカザルスのバッハ演奏の偉容が理解できたという人も多いでしょう。
私もオーパス蔵のCD(2002年の旧盤)に深い感銘を受けた一人ですが、一方で当EMIのCDも、別角度から演奏の本質に光を当てた素晴らしい復刻だと思います。同社による2007年の国内盤は、低域がカットされ安いヴィオラのような響きに変質していましたが、カザルスに限らず、歴史的音源のファンの間では、本家EMIのリマスターへの否定的な声がしばしば聞かれる。私自身は本家盤を全否定するつもりはないですが、録音の真実な姿を追いもとめる彼らの気持ちも理解できなくはない。
ただし、このカザルス盤は1930年代のSP録音です。LP時代の録音なら初期盤とCDの比較が容易だと思いますが、現在、SPレコードを蓄音機で聴いている人は奇特な部類に入る。普通のファンはオリジナル性を云々すること自体が難しいわけです。したがって復刻CDを評価する場合は、純粋に演奏の輪郭がはっきり感じ取れるかどうか、音色が良いかどうかが焦点になるでしょう。
その意味から言って、2011年リマスター盤はカザルスのチェロの量感と柔らかな美質が味わえる精細な復刻です。奏者の上品な面が強く印象に残る。オーパス蔵盤に著しい野太さは程好い範囲にとどまっており、知情意の均衡の取れたバッハを聴くことができます。
カザルスのように年輪を重ねて老成する音楽家、平たく言えば、上手く年を取ることができる音楽家は甚だ少ない。文芸批評家の小林秀雄はある講演会の壇上で「合理的精神に年はない」と言い、近代の測定科学に囚われた世の風潮、知識人の思想に警鐘を鳴らしました。人間的成熟を見ないような、あるいはそれを拒むかのような音楽界の現状を見るとき、いつも私はこの大文士の鋭い指摘を思い出します。
古来日本では、技術より音楽の中身を尊重すべきだという事を言いながら、実際は技巧や外面的要素に依存して音楽を聴く人が多い。音楽教育の現場も、そのつもりは無くとも、外から見れば明らかに技術至上主義です。表面に少しの傷があるだけで中身が壊れたように感じるのか、直ぐに音程がリズムがと指摘する人がある。細部に神経質な国民性のゆえでもあるでしょうが、アメリカと同じで、どうもヨーロッパに追い付け追い越せという後進国の焦燥感が、音楽を見る目を陰険にしている気がします。
そういう技術面の指摘は間違いではないですが、言ってみれば少し耳の良い児童にだって同じことは言えます。凡百の演奏ならともかく、カザルスのような歴史に残る大業を為した音楽家の前では、粗探し的な言動を恥じる気持ちが生まれても良いのではないか。バッハの楽曲と同様、それは乗り越えるべき対象ではなく、ただ心静かに美しさを享受すべき音楽であろうと私は思います。