〇ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番 作品97「大公」

パブロ・カザルス(チェロ)
アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)
ユージン・イストミン(ピアノ)
録音:1951年 フランス、ベルビニアン

「大公トリオ」は大好きな室内楽曲です。ピアノ三重奏でこれほど人間的成熟を感じさせる曲を書いた人は少ないし、傑作でありながら牧歌的な親しみやすさ、温和な雰囲気を基調としているところに、音楽としての器の大きさを感じます。およそ40年の間、どんな時もベートーヴェンと共にあったような自分の音楽鑑賞人生ですが、交響曲、ヴァイオリン協奏曲、ピアノ・ソナタなどと並んで、「大公」は最も盤を手に取る頻度の高い曲です(後期作品群はいずれも深遠な魅力をもつ音楽ですが、そうと知っているからか聴く頻度はやや低い)。

カザルスが参加した「大公」にはティボー、コルトーと組んだ1928年の名盤があります。音質的にもHMVのエレクトリック初期の記録としては十分だと言っていい。この世紀の大家たちによる魅惑的なトリオの吹き込みが残っている曲に関しては、後年の演奏はどうしても分が悪くなります。ティボーのような粋で蠱惑なヴァイオリン、コルトーに比肩する響きの深いピアノ奏者を揃えることは戦後には難しくなるし、高齢になったカザルス自身の技術上の問題も出てくる。また仮に1951年の時点でティボー、コルトーとの人間関係が良好でトリオ活動を続けていたとしても、三者共に28年盤と同水準の音楽的緊張を維持し得たかどうかは分かりません。

ならば51年の当盤はまったく聴くに及ばないかというと、一般の演奏の芸術的水準に照らしてみて決して価値の薄いものではない。旧盤と違い、緩急の激しくない泰然としたテンポで奏され、各パートの主張も穏やかになっていますが、音楽の雄大な力に負けている印象は少しもありません。ティボー、コルトーが相手の時以上に巨匠カザルスが全体の主導権を握っている様子で、老樹のごとく重心の低い骨太な表現を聴くことができます。
ハイドンやモーツァルトと違い、ベートーヴェンの場合は、たとえ若書きの作品であっても奏者の老成が許容されるところがあります。と言うより、元々彼の曲作りには初期の段階から青春の息吹といった若々しい気風は見られない。すでに常人よりも感性が円熟した状態で作曲活動を始めたとも言える。だから生気溌溂とした演奏による第一交響曲、スプリング・ソナタは、一見曲調に相応しいようでいて実際はさほどありがたみがない。中期と後期の狭間にある「大公」ならば一層、奏者の内面的成熟が曲に奥行きを持たせる可能性があるとも言えるでしょう。私はかなり以前に、50才以下のメンバーによる同曲の演奏会を生で聴いたことがありますが、これなら少々フレージングが間延びしようとも、老ケンプがシェリング、フルニエと組んだレコードの方が断然音楽が瑞々しいと思った経験があります。
カザルスの当盤もまた、音の清楚なシュナイダーのヴァイオリン等を得て、独自の味を持った演奏に仕上がっています。大名盤とは言えないまでも、往年のカザルス・トリオへのノスタルジーを呼び起こす以上の意義を、この演奏から感じ取ることも可能ではないかと思います。