〇イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 ハ短調(校訂:ヨゼフ・シゲティ)

エフレム・ジンバリスト(ヴァイオリン)
録音:1939年10月27日(RCA原盤)

発売:Biddulph(イギリス)2022年。CD


Biddulphの新シリーズ「アウアー・レガシー」の第1弾としてジンバリストの復刻CDが発売されました。アコースティック録音から第二次大戦前までの電気録音が一枚分集められ、小品の後にブラームスの第3ソナタとイザイの第1ソナタという大曲が入っています。

SP復刻が専門のビダルフとしても、これは出色の一枚ではないかと思います。世紀の巨匠ジンバリストの美しい音が、鮮明というより刻名な音で蘇っていて、ヴァイオリン好きにとっては本当に感激のきわみと言える体験です。

復刻技術がここまで進んでくると、録音年代と現在の距離感が大幅に縮まる。戦前録音の復刻と言えば、1990年代のCDでは多分にセピア色の雰囲気を纏っていたもので、優れた演奏とは思いながら、それを現在形の音と感じるにはある種の意思が必要でした(実在感では明らかにLPへの転写盤の方が優っていた)。そこから30年も経た現在の方が戦前という時代が近くなるというのは、思えば大変奇妙な感覚です。

私は江戸時代から明治、大正時代に書かれた墨蹟を飾るのが好きなのですが、それらを入れ替わり部屋に掛けて毎日眺めていると、自分が古い時代に遡った気になるよりはむしろ、畏れ多い先人先哲が現代の身近な空間に生きているような錯覚にとらわれる。書を見なくては歴史的人物の個性が分からないなどと言うつもりはありませんが、文献や画集で親しむ以上にその実在感は強くはっきりしたものになる。私淑する人物が、感覚上において次第に江戸や明治という遠い時空に生きた故人ではなくなってきます。


ベートーヴェンなどの作曲家は他人の解釈(演奏)を通して現代に蘇ってくるため、受け取る人がどういう演奏を聴くかによって人物の印象に大きな開きが出てきます。対して、演奏家の場合はれっきとした本人の肉声が残っているのだから、その個性を直接的に理解、判断することができる。作曲家よりは影像がはるかに限定される存在と言っていい。

ところが、古い時代、殊にSP期の演奏家を聴く場合は、情報源である復刻が拙くてはあらぬ曲解を生む。大手レーベルが発売したCDにも、良心的なものからそうでないもの、新技術を採用してかえって音が不純になったものまで種々ある。どんな復刻にも賛否は入り交じるものでしょうが、音楽体験としては、少なくとも自分が演奏に夢中になれる程度の音質であることが肝要でしょう。


その素晴らしい復刻音による、イザイのソナタ。これほど完成された技術で、かつ格調高く端然とイザイを弾いた人を他には知らない。長く連なる和音の麗しさ、技巧的な早いパッセージ、朗々たる深みのある音色、挙げると際限がないほど多くの美点を持つ至芸です。

私は正直なところ、イザイの無伴奏曲にはそれほど深い愛着を持っていない。頭の引き出しが多い人のようで、断片的な魅力はいくらも見つかりますが、素材が盛りだくさん過ぎて曲としての統一した感情が掴めない。同じ分野ならバルトーク、ブロッホの方に人間としての信念と高い倫理観を感じます。それでも、ここまでヴァイオリンの音色に聴き入ることができるのは、曲の芸術性よりもジンバリストの濁りのない誠実さの故でしょう。

このCDに収められたものでは、ブラームスのソナタも佳演です。またアコースティック時代の完璧な技巧の魅力を堪能することもできますが、録音と演奏の完成度が揃ったものとして、イザイのソナタは第一にお薦めしたいところです。