
一角のヴァイオリン好きでヌヴーを嫌いだという人を、私は見たことがない。二つの感情に矛盾があるからだと思う。少なくともこの楽器の底から漂う美や音楽の根源の光が信じられる人ならば、それらに通ずる彼女の霊感の鋭さに驚く外はないでしょう。
ヴァイオリンは、上手下手とは関係なしに俗臭の漂いやすい楽器です。人間の品性や徳性の有る無しが直ぐさま表に出る。テクニックや美音くらいでは先ず己の本性を繕うことができない。そういう見せ方の部分に必要以上に惑わされない奏者が、代々にわたり古典音楽の魂を射止めてきたと言えます。テクニシャン、美音派というのは、決して芸術の使徒たる人への賛辞にはなり得ません。
ヌヴーは技巧にも音の美しさにも秀でていますが、自分の目的地に必要のない荷物は負わない人という印象が強い。潔さと言えばよいか。彼女は音楽の本質を見る。本質を捉え切れない場合にも、そこに脇目も振らず立ち向かおうとしている事は理解できます。
この4枚組CDは彼女のスタジオ録音を集成したもの。
年齢的にはいまだ若く、全ての曲が完全だとは言い切れませんが、さすがに最後に録音した一群のピース物は名演揃いです(一般にウォルター・レッグのプロデュースした音盤は完成度が高い)。中ではラヴェルの「ツィガーヌ」が圧倒的な存在感を放ちます。こんな夢幻の中から影を引くように響いてくるツィガーヌはなかなか聴けるものではない。太い低絃はおごそかで漆黒の色合いを持ち、重音トリルは現実離れした雰囲気を醸し出し、後半の舞曲に至っても雑念や俗っぽさがない。器楽としての完成度を越えた、まことに内容の濃い演奏で、何か神聖な儀式に立ち会ったかのような厳粛な聴後感が残ります。