
バッハ:ヴァイオリン協奏曲
第1番イ短調
第2番ホ長調
二重協奏曲ニ短調
アルテュール・グリュミオー(ヴァイオリン)
へルマン・クレバース(第二ヴァイオリン(二重協奏曲))
ソリスト・ロマンド
指揮:アルパド・ゲレツ
録音:1978年11月6~9日、スイス、ラ=ショー=ド=フォン
発売:2011年、ユニバーサル(UCCD 9832)CD
バッハのこの三作は、十代の頃から弾いては聴き、聴いては弾きを繰り返してきた好きな曲で、今でもお客様の楽器選びの時、これらの一節を弾いて比較して頂くことがよくあります。
最初に知った音源は、実家にあったこのグリュミオーの78年盤で、私にとっては馴染み深い演奏です。写真のCDはデッカレーベルになってからの再発盤で多少音質は粗くなりましたが、独奏を前面に出した優秀録音なのでグリュミオーの音色は充分に味わうことができます。
たとえ巧くても、粘着質な音、底の浅い音を私は人一倍敬遠する方なのですが、これはグリュミオーの涼しげなヴァイオリンに耳が慣れていたことが多分に影響していると思います。極上の名器と弓を使い、慎み深い響きを持ち味としたヴァイオリニストであり、仮に音楽に関心を持たない人が聴いても彼の演奏は美しいと感じられるでしょう。
もう一つの大きな特徴は、作品に対して全身的なアプローチを試みず、従って曲趣によらず羽目を外さない演奏をするところです。時に宙を羽ばたくような奔放さも見せますが、それは主として奏法的な部分の話で、ソリストの芸術表現としてはかなり予定調和的な面があります。職人気質と言ってもいい。だから正直なところ、現在の私の耳には、曲への献身、同化という点で物足りなさを感じる部分もあります。
それでも、昨今の弦楽器演奏の中に彼の演奏を置いてみると、依然として畏敬すべきヴァイオリニストである事を実感します。グリュミオーは、ADGにガットを用い、絃の力を強調せずに楽器を鳴らすという、古来から守り通されてきた流儀を踏襲しています。20世紀末あたりからの楽壇では、やれ音が弱いとか、音程が不安定だといった消極的な理由から、この伝統が平然と破られるようになりました。現在主流のナイロン絃では、どう弾き方を工夫しようと絃が主体の物質音になり、楽器の根本的個性が死んでしまう。それくらいヴァイオリンとは、使用者のわずかな心掛けで音が変質するデリケートな楽器なのです。
耳で聴いていて、この事に気付かない音楽家も悪ければ音楽ファンも悪い。しかし一番良くないのは、よく鳴るからと言って新素材絃を客に薦めるメーカーと楽器屋だろうと思う。専門家なれば、音質云々は別として、張りの強い絃が楽器本体に与える負荷を何より先に心配するべきです。
今こそ、このレコードのような、本道から逸脱しないヴァイオリンの音が広く聴かれるようになってほしい。グリュミオーは一生を通じてほぼ演奏スタイルが変わらなかった人ですが、よく聴くと1960年代後半から70年代になるにつれ、感覚美の世界を越えて音と表現内容に円熟味が加わってきます。しかし80年代に入ると音が退色し始めて彼本来の魅力が乏しくなる。このバッハの協奏曲集は時期的にも良い頃で、典雅流麗、ヴァイオリンの賢者の落ち着いた気品がスピーカーの向こうから漂ってきます。