
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番 K.218
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
リヴァプール・フィルハーモニック管弦楽団
指揮:マルコム・サージェント
録音:1943年(モノラル)
(他にモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ数曲とメヌエットを収録)
巨匠メニューインの遺した膨大な録音のうち、私自身が至宝とも思っている演奏を幾つか挙げると、
〇ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(1953年・フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管)
〇ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全集(1970年・ケンプ(P))
〇バッハ:無伴奏ソナタ第1、2番、パルティータ第1、2番(1934-36年)
〇ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(1949年・フルトヴェングラー指揮ルツェルン祝祭管)
〇モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番(1943年・当演奏)
〇モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全集(1961-63・メニューイン指揮バース音楽祭管)
〇バルトーク:無伴奏ソナタ(1947年)
まだまだ追加したいところですが、これらは先ず誰にもお薦めできる演奏で、ヴァイオリンという楽器の美質をより根源的な姿で伝えてくれる音盤だと思っています。
美しいヴァイオリン演奏と言っても種々多様です。いつも余所行きの隙のないスタイルで弾くグリュミオーは、艶やかで香水を薫らせたような音。メニューインの紡ぎ出す音は、むろん広義には美音と言って差し支えないけれども、肥沃な土や木の芽の薫りを思わせる。どちらも卓越した技巧を持ったヴァイオリニストですが、音楽、文学、また書画においても、私は最後には後者の薫りを採る。水や太陽のごとく我々の生命の糧となり、人格上に直接感化を及ぼす芸術。極端に言えば聴く前後で己の人間性が変わるような演奏を欲する方です。
1943年の第4番は、まるでモーツァルト自身が弾いているよう、という評もある大変な名演奏です。こういう重心の低い健康なヴァイオリンの音は、もう現代の楽界ではほとんど聴けなくなっている。解釈としても実に自然で、衒いや無用な自意識がない。ただ音楽の底に流れる感情のみでモーツァルトと結ばれているような、そのあまりに純真な邂逅に胸を打たれる。作者自身のような演奏という賛辞には、非常に納得させられるものがあります。
〇第1楽章⬇️
〇第3楽章⬇️