まさしく「大俳優」という呼称が相応しい国際的名優だった丹波哲郎(1922-2006)。鶴田浩二、高倉健、三船敏郎、石原裕次郎・・どんなスターと並んだ時にも画面に映る存在感と格好良さでは全く引けを取らない人でした。
ここでは先ず、氏の頭の容量というか記憶力の良さに驚嘆させられる。自らの生い立ちから俳優としての経歴、演技論などを滔々と縦横無尽に語る。元来口の重い人ではないから、話題は自身の事のみならず自ずと監督や他の俳優にも及び、戦後の映画界の裏側を知る上でも証言的価値の高い内容となっています。
以下、印象に残った発言を幾つか・・。
「まあ、私の到達した悟りがあるとするならば、俳優というものは芝居をしちゃいけない。芝居をしちゃいけないというのが飛躍的だったら、芝居というのを影も形も見せちゃいけない。その人の個性が滲み出てれば良い。」
「俺がやったら俺が一番。だから何もしないで、ヌッと立って将軍だと思ってれば将軍になる。一種の自己催眠。・・・社長だったら社長と思い込めばいい。そう思って座ってればいい。自然に社長だよ。だから芝居っていうのは、何もテクニックなんかない。思い込めばいい。」
現場では常に場が明るくなるように努める人で、自分のプライドのために喧嘩したり、弱い者いじめをするなど、雰囲気を暗くする監督や俳優は好かなかったようです。
たとえば伊丹十三について。⬇️
「監督としては感心したよ。監督に向いていると思った。・・伊丹十三の作品だったら出たいという俳優もたくさんいたんだろうね。ただ伊丹の場合、自分のイメージに無理やり合わせようとするから、現場がつまらねェんだ。遊び心がない。だから伊丹に言ったんだ。「君の映画には二度と出ない」って。」
氏は、俳優たちが自分のイメージどおりに伸び伸びと演技できてこそ良い作品が出来上がるという固い信条を持っていたようです。伊丹十三やいわゆる芸術家肌の監督が撮るシャシンは、ややもすると俳優が木偶人形のように見えてしまい絵にリアリティがなくなると私は感じていたので、丹波さんの伊丹評と演技論には非常に納得させられるところがありました。
そう言えば昔、丹波さんは向田邦子さんと雑誌で対談した時に、自分は脚本家の立場など考えない、ただ自分のイメージで芝居をして目の前の監督はじめ現場の人たちを喜ばせたいだけだと言って、このプライドの高い脚本家をかなり不機嫌にさせていました(笑)。