〇ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 作品98
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
録音:1963年10月 ベルリン、イエス・キリスト教会
発売:1996年12月 ポリグラム(国内CD「カラヤン文庫」シリーズ)
寒気のはげしくなった年の瀬から年始にかけて、気を引き締めるつもりでブラームスの第4シンフォニーを連続して聴きました。この曲は表現が粘っこく、遂にホ短調の陰を背負ったまま終結に至るので、聴後感は晴れやかではありませんが、熱情や、哀感、諦観などを種々織り交ぜながら熟成を見ているすぐれた交響曲です。運命に完全に打ち勝つことは出来ずとも屈従はしない、そして何事かを自らの中で克服した人間の影像が心に残ります。
まず久々にワルターとトスカニーニを取り出してみましたが、良い復刻音のCDにも関わらずどちらの演奏にも釈然としないものを感じてしまった。ワルターは優秀録音に助けられてはいるが弦が薄味すぎ、トスカニーニは感性の硬さが曲想を阻害していて楽しめなかった。NBC響はかなり無理をしてトスカニーニの求めるフォルテの強靭さを出そうと努めるが、力めば力むほどに音楽の包容力は小さくなっていくように思えた(彼のLP期の録音には、快演である場合も往々この傾向が認められる)。
NBCといえば当時のアメリカで最高レベルの評価を与えられた楽団ですが、その後あらためてフルトヴェングラー/ベルリン・フィルの48年実況録音、当カラヤン/ベルリン・フィルの63年盤を聴いてみると、やはり比較にも勝負にもならなかった。磁場の広さ、風格、音圧、詩的想像力・・。欧と米の文化の層の違いをはっきりと見せつけられた思いでした。本土空襲も受けずに戦勝国となったアメリカの楽壇の雄が、ドイツの首都として壊滅的な爆撃を受け、敗戦後は米ソにより土地を東西に分断(1961~)されたベルリンのオーケストラに歯が立たないとは、芸術の成就の難しさを物語っている皮肉な現象です。レスピーギやロッシーニでなく、曲がブラームスだから余計に楽団の技量の差が気になるのかも知れませんが。

カラヤンの第4番は、60年代のブラームス全集からの一曲。レコード棚には小学生の頃に買ったLPもまだ残っています。生意気にもこの渋い曲を、ベートーヴェンと同様それなりに楽しんでいた記憶がありますが、子供にとって一番魅力だったのは快活で華やかな第3楽章だった。また曲を知らない当初、B面の第3楽章をA面と思って再生していて、しばらくの間1・2と3・4楽章を履き違えていたことも佳き思い出です。
晩年までレコード製作への意欲を失わずにいたカラヤンは、多少の反射神経の衰えはあれ音楽の風格は維持し続けた人で、いつが全盛期だという判断は容易には下せない。実際、ステレオ期だけで34年もあるレコーディング活動の軌跡を追うことは、好きながらも結構な気力を要する作業となります。
カラヤン批判をしたがる人は批評家にも素人にも昔からありますが、仮に彼のベートーヴェンを嫌いだと主張する場合、フィルハーモニア管弦楽団とのものを含めて4種ある全集の、いずれの何番についてそう感じるのかを明らかにしないと意見にならない。けれどもレコードはタダでは無いから、彼の演奏を好かない人なら、全ディスコグラフィ中のおそらく5パーセントも聴いていないはず。実質は食わず嫌いに近いわけです。つまり誰の演奏であれ、そのアーティストが好きな人の方が必然的に経験や知識は豊富になるのであり、したがって音楽への理解度も深い。アーティストに攻撃的な批判を繰り返す人の意見は、あまり信用しない方がいいというのが私の考えです。

カラヤンのブラームスについては70年代、80年代の方が感情の機微が細やかなところがあります。第3、4番になると晩年の枯れた表現が曲の深い谷にまで光を注いでいて確かに魅力的です。しかし、男性的な力感と音の厚みの持続もベートーヴェンやブラームスの表現には欠かせないもの。60年代の全集では先ず第1交響曲が名盤の誉れが高い。偉大な交響曲作家ベートーヴェンの後継者たることを意識したブラームスの理想を、曲の精神と肉体の両面から体現した演奏と言えるでしょうか。
この第4番も第1と同様、厚みが十分で重々しく、刃のように研がれた弦の響きは腹の底に沁み渡るくらいに美しい。その陰影に富んだ表情は、確かにブラームスの、この曲の内側から引き出されているものです。
旋律と和声はじっくりと歌い込まれる。カラヤンは、他ではオーケストラに予想外の発破をかけたりテンポを煽ることもありますが、この録音では、むしろ奏者たちが自発的に取ろうとしているテンポを指揮棒でせき止めながら、粘りや重みを加えている瞬間が随所に見られます。これは60年代に顕著だったカラヤンの特徴の一つです。両者のせめぎあいにより、物凄いエネルギーを持った音塊が生まれる時があります。
表現の円熟味を言うなら、最晩年の88年録音に一歩ゆずる。それを差し引いても、仁王像のように動じない63年盤の風格は、第4シンフォニーの録音史の中で輝きを失することは無いでしょう。往年のベルリン・フィルハーモニーのレコードからは当たり前のように湧き出てくる、この中低域の充実した響きそのものが、現代の日常的なコンサートではもう聴く事が難しくなりました。