
同 第3幕より
④いとしいお方
ベルリーニ
歌劇『清教徒』第2幕より
⑤もう一度望みを持たせてくださいーや さしい声が呼んでいた
歌劇『夢遊病の女』第1幕より
⑥親しいお友達の方々
⑦何と平和で静かな日でしょう
⑧私の胸に手をあててごらんなさい
マリア・カラス(ソプラノ)
ミラノ・スカラ座合唱団
ミラノ・スカラ座管弦楽団
指揮:トゥリオ・セラフィン①~⑤
指揮:アントニーノ・ヴォットー⑥~⑧
録音:1955年6月①~④、1953年3月⑤、1957年3月⑥~⑧、ミラノ
稀代の名ソプラノ、マリア・カラスが全盛期に録音したオペラ・ハイライト集。カラスを聴いたことがない人には、その不世出の歌唱を伝える記録として、当アルバムかプッチーニのアリア集、スカラ座ライヴの『椿姫』全曲(1955年)あたりを先ずおすすめします。
タイトルが示すとおり、彼女がスカラ座の舞台で演じたことで再び日の目を見たオペラ作品がここには4曲含まれますが、歌、選曲、録音、すべてにおいて充実した一枚です。よほど声楽に無理解な人でなければ、声の存在感と陰影の細やかな表現力にただただ引き込まれる他はなくなるでしょう。類い希なスター性を持つカラスには、LPからCD時代を通じオリジナルから離れた選曲のベスト・アルバムが製作され続けた歴史があります。俯瞰的にプリマドンナの軌跡を理解しようとするなら、そうした編集盤を聴くのも良いでしょうが、できればオリジナル盤の曲順のままに聴き進むほうが各曲の感銘は深いものになります。カラスにかぎらず、初出時の選曲と曲順には一夜の公演プログラムに似た構成の妙味があります。
彼女は偉大なソプラノ歌手というにとどまらず、満場を惹き付けてやまない舞台役者的な華やぎを持っていました。同時代にはテバルディやモッフォなど名実ともに優れた歌い手がいましたが、誰を引き合いに出そうとカラスの孤高の存在感はいささかも翳りはしません。
俗世間というのは裏話を好む。劇場公演をめぐる逸話とか、魅惑的な容姿を如何にして手にしたか、ギャラの交渉力、私生活で誰彼とスキャンダルを起こした等々、音楽の鑑賞上知らなくてよい話題にばかり関心がいく。私自身が仕事やブログ上の交流で感じている事ですが、音楽と真面目に向き合う人は、むやみに本質と関わりのない情報を耳に入れないものです。しかし、カラスのように頂点を極めた人物になると、益々歌の美しさそのものでは飽き足りなくなる人がでてくる。あの芸術の秘訣はきっと実生活のどこかに隠れているのだと考えたりする。そうすると必然的に、プライベートな事実の側から音楽という虚構の世界を見るという姿勢が生まれる。耳が働かなくなって行きます。
これだけ優秀な録音が沢山残っているアーティストなのだから、もう音の情報だけで素晴らしい実体験ができます。虚心坦懐にこのアルバムに耳を傾けていると、カラスの歌は主観的で振幅が大きいようでいて、実は内省的な落ち着いた表現を基調としていることにも気付きます。感情の放射よりも抑制が歌に緊張感を与えていると言える。また基礎的な音程感覚に優れていることが響きに潤いを与えている点にも注目していいでしょう(これは実際の発声技術に起因する音程のムラとは別個に考えなくてはいけない)。以上の特徴を踏まえると、現代のソプラノ歌手のほうが、一見理知的には見えるがおしなべて個人的な主張は強いとも言えます。
8曲のすばらしい歌唱に優劣は付けられませんが、①のケルビーニのアリア、②のスポンティーニの『ヴェスタの巫女』からの「無慈悲な女神よ」は、最初に入っていることもあって聴く頻度が高いです。①では声そのものの情緒の柔らかさが肌身に沁みる。②ではフランス・オペラならではの優美さと繊細さが感じられ、静かな独白からじわりじわりとドラマティックな情が嵐のように旋回してゆくところに舞台人カラスの骨頂をみる思いがします。声一本の芸術とは信じられない感動的な光景です。