仕事前に一度帰宅する都合上、コースは家の近場を選び、その日の気分で行き先を変える。あまり雄大な景色などは見ることができませんが、朝方は同じ場所でも日中にはない清潔な空気が漂います。五感が冴えているせいもあるのでしょう、森や川面を見たり大空を仰ぐと、色と光が細やかに眼に映り、何気ない雲の形にまで創造的な美しさが感じられます。まず生活音や自動車の音が少ないのがいい。その静かに澄んだ空気の中で、ウグイスの竹を割ったような嬌声を聴くのもささやかな楽しみの一つです。雨上がりの朝には、遠く離れた木々からスズメの賑やかな大合唱が聴こえてくる事もあります。
この暑いのにジョギングなんて、と言われることがありますが、毎朝屋外で運動していると次第に温度変化に強い身体が出来てきます。天気のニュースでは熱中症に気をつけてとか、こまめな水分補給をという話が必ず出てきますが、私は暑い時や蒸す時は避暑法を考えるより前に、天然の気候にすすんで身体を慣らしてやるのが理にかなった健康法だと思っています。
もともと日本に居住する人は、外国人以上に四季の変化に順応できる身体を持っているはずです。自分の小学校の時分を振り返ってみると、真夏に冷房のない教室で授業を受けても先生の話す内容はしっかり頭に入っていました。7、8月の炎天下、夏休みに行われる学校のプール開放には喜んで参加したし、町内の神社の御輿担ぎもやった。その合間に学校の宿題とヴァイオリンの練習もこなす・・。厳しい大阪の夏なのにまったく楽しい思い出ばかりで、暑かったという記憶が少しもない。別に人並み外れて体力旺盛な少年だったわけではありません。
何故、大人になるほど夏バテしたり寒さにちぢこまったりと、天然の気候を素直に受け入れられない人間になってしまうのかと考えたことがありました。常々面倒に感じるのですが、道端で知った人に会ったときの第一声は大抵が気候に関する愚痴です。「暑いですねえ」、「何するのも嫌になりますねえ」等々。それが他人との連帯感を生む便利な言葉だと思われているようです。
しかし、結局のところ大人がバテやすかったり肥満になったりするのは、青少年時代に眼を輝かせてやった毎日の運動を怠るからではないかという事に気が付いた。私は肥満だったわけではないですが、以来夜のウォーキングを始め、数年後には時間短縮を考えて朝のジョギングに移行しました。
三度の食事は怠らないのに、年齢などを理由にして運動はつとめて怠る。クーラーやストーブで身体を過保護なまでにいたわり、あらゆる西洋薬を飲む。肉体や神経の機能を試す機会をことごとく無くしてしまっているわけで、これでは身体が弱らない方がおかしいでしょう。
私のような事業者はまず身体が丈夫でなくては人からの信用を失います。朝のわずかな運動とヨガのおかげで、仕事の能率が上がり、さらには趣味も読書もより充実感が得られるようになりました。肉体面では、腰痛と肩背中の凝りが解消され、風邪ひとつ引かなくなったのが大きな収穫です。
台原の原生林⬇️

東照宮1丁目、とちのき公園⬇️