モーツァルト
交響曲第29番 イ長調 K.201(186a)
交響曲第34番 ハ長調 K.338

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
録音:1985年6月、1986年6月(第29番)
  1986年6月(第34番)
発売:1987年6月、ポリドール(CD)

デジタル初期の1980年代、独グラモフォンがウィーン・フィルによるモーツァルトの交響曲全集録音を計画していた時、VPOの団員達はその指揮者としてまだ若手だったジェイムズ・レヴァインを迷うことなく推したそうです。ウィーン・フィルのモーツァルト録音というのは昔から多種ありますが、グラモフォンでのモーツァルト全集と言えば68年に完成を見たベーム指揮ベルリン・フィルのものだけで、ウィーン・フィルの全集は他レーベルも含めて存在しなかった。団員としてもさぞや気合いの入る仕事だったろうと思います。

ここにカップリングされた29番と34番は性格的に好対照の関係にありますが、どちらも私が特別に好んでいる交響曲です。また29~34番の6曲はそれぞれに活きのいい発想に溢れており、構成のよく固まっている35番以後の交響曲以上に魂の羽ばたきのような自由さが感じられます。旋律美の際立った楽章が多いことも注目すべきで、この類い稀な芸術性を、単純に後期の名交響曲にいたる発展の途上と見ることはできないでしょう。

総じてこのシリーズはマイクが近めの録音で、奏者各人の細かな動作までが聞き取りやすくなっています。レヴァインの指揮は歯切れの良い表現に終始し、その前のめり気味の快活なテンポには、前途ある指揮者の強い意気込みが表れています。
ただ録音のせいもあるのか、ウィーン・フィルの絃はいつもより硬く引き締まり、優美さよりも機能的な動きに重点を置く傾向が見られる。全く同時代のカラヤンとかジュリーニが振ったVPO録音では、しなやかで確かな厚みを持ったガット絃の響きを聴く事ができますが、そういうヨーロッパ的、オーストリア的な美感の上に自己の想像力を生かす巨匠たちの音楽に比べると、レヴァインのモーツァルトはモダンな躍動性が目立ち、言ってみればやや無国籍風な音楽に仕上がっています。だから29番よりも、34番の両端楽章のようなリズミカルな曲にレヴァインの長所は発揮される。
かつて日本には、カラヤンを機能主義と感覚美の音楽家のように言う評論家がいました。それは多分にBPOの前任者フルトヴェングラーとの比較から導き出されたと思われる偏った見解であり、彼が晩年にベルリン・フィルと入れた29番などはもう永遠の叙情を感じさせるくらいに調和の取れた音楽だった。同じ境地を当時のレヴァインに求めるのは無理かも知れない。しかし優れたバトンテクニックに加えて、もう少し爽やかな青春の息吹きのようなものがあれば、彼のモーツァルトはまた独自の光彩を放つ音楽になっていただろうと思います。
交響曲第34番~第2楽章⬇️