インスタグラムの記事を元に加筆しました。
(昭和39年5月~40年5月・読売新聞連載)
講談社文庫
これは本文726ページの大長編で、松本清張作品のうち一冊にまとまる範囲で言えば最も大規模な小説の一つでしょう。
誰でもそうかも知れませんが、清張氏は短編と長編で物語の進行速度を大きく変える。ヘミングウェイを思わせる無駄な描写や叙述を省いた新聞記事のような短編作品は、あれはあれで一語ごとの重みが出て文に緊張感を与えますが、本作のような壮大な長編では会話や出来事、主人公の心理をかなりゆったりと精緻に描き、時に登場人物の内面にまで肉薄しながら、エリートの苦悩と挫折をリアルに表現しています。
本作は松山地方検察庁の倉庫で起こった火災(失火として処理)と、かつてその地検が不起訴にした殺人事件の手落ちを、警察への体面上、責任者である若い検事が自分たちの組織内の人員だけを使って再度究明するというストーリー。日頃は送検された警察の記録書類を検討の末公判に持ち込むことが主たる仕事となっている検察は、そのための少ない事務官しか抱えておらず、外部に秘匿して単独で事件を調査しようとすると、膨大な人材を擁する警察の捜査とは比べ物にならないくらい手間暇がかかる。その動きが不自由な検事以下の苦労を、松山、広島、群馬、東京と舞台を変えながら丹念に追っていることが、大長編作品になった理由だと思われますが、事件そのものの子細な叙述とか、人間の足を使った懸命な聞き込みは、こうした枚数でこそ生々しい雰囲気が出てくるものでしょう。立ちはだかる謎や暴力の威嚇を前に、背後関係を暴こうと熱に燃え始めた読者としては、時に主人公の思考に合わせて展開を焦らされるというのも不快ではない。
当初は本筋とは関係がないと思えた話(主人公の見合いなど)までが、終盤が近づくにしたがい一本の線につながったり、先輩検事の娘にあたる若い魅力的な女性が、時折見せるクールな態度が何に起因するのかが最後に分かるなど、実に構築性のある見事な筋書きです。同時に私が第一に驚嘆するのは、普通の人には縁遠いはずの検事や弁護士の専門的な思考を、極めて本当らしい形で登場人物たちに付与できる清張氏の力です。これは素材さえ集めればできる作業とは思えない。専門は違っても、その作家が知的水準において法曹界の人々と同等の頭脳を持ち、彼らの勤務実態に通暁して初めて、人物の生き生きとした実在感は出て来るでしょう。
あまり著名な作品ではないようですが、社会の暗部をよく知る清張氏による層の厚い物語は、苦難を侵してでも人間が取らなければならない道を示唆していてとても感銘深い。正直なところ、氏の作品、殊に短編においては、しばしば知りたくもない陰湿な人間の心理が描かれていたり、あまりにテーマが個人的な怨念みたいなものに終始していて読む気が起こらない作品もあります。対して『眼の壁』、『ゼロの焦点』、『黄色い風土』そしてこの『草の陰刻』では、表の社会を覆う灰色の人間のエゴを素材としながらも、読み手に希望の光、つまりそこに粘りづよく人間らしい意思を持って生き抜く可能性を提示する。所詮は欲にまみれた人間の社会で弱い個人が一人粋がっていて何になるかと、この若い検事を嘲笑う向きがあるかも知れない。しかし結果が出ようと出まいと、瀬川検事は、何重かの意味で保身に傾こうとした己れの心に打ち克っている。特別に強い人間だけが正しい道を拓くことができるのだ、というヒーロー的な描き方を清張はしていない。これは前述の『眼の壁』の主人公と共通する人間像のように思われます。
〇余談ですが、少しばかり暇な計算をしてみました。
この講談社文庫は1ページあたり817文字で726ページある。
現行の新潮文庫の、文字の大きい『ゼロの焦点』は1ページ624文字で、その差は何と193文字。
『草の陰刻』は全ページで593,142文字になり、これを現行の新潮文庫の624文字で割ると950ページ強になる。
今回、心なしか紙を捲るスピードが自分では遅く感じられたのですが、やはり講談社文庫の文字は小さく多く詰め込まれていた。新潮文庫で950ページの長編を読んだと考えれば納得できるスピードでした📖。