〇コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲 作品35

ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
ロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:アルフレッド・ウォーレンステイン
録音:1953年1月10日、ハリウッド

初演ヴァイオリニスト、ハイフェッツの独奏によるコルンゴルトの協奏曲。1945年の初演から8年を経た1953年の録音です。

栄光の現役時代、ついに最後のステージまで技術と気力に衰えを見せなかったハイフェッツについては、いつ頃が最盛期だとは特定しにくいのですが、1950年代のテープ録音期に入ってからの彼の演奏は音楽的な仕上げが以前より丁寧になったように私は感じています。映画『カーネギーホール』でのチャイコフスキーの協奏曲を聴くと分かるとおり、1940年代にはかなり怒り肩の表現をしていた人で、難易度の高い曲になるほど技巧面での征服欲が目立つ傾向がありました。結果、コントロールは行き届いているようでも表情が荒く、所々で音の色艶を犠牲にすることも珍しくなかった。それが次第次第に改善され、60年頃までには造形性のある美しい響きを取り戻しています。
ハイフェッツをメカニックの乾物のように考えている人は現在でも一定の割合でいるようです。万全のテクニックで聴衆を虜にした彼は、確かに完全に制御されたものへの憧れが強い人間だったでしょう。しかし、実際には自らの演奏理念を公の場で説いたことはなく、まして完璧主義を標榜したことなど一度も無かった。そんな事を自分で言い出した日には、演奏家の仕事はもう寿命が縮まるくらいの苦行になってしまいます。そうではなく、あくまで当時の音楽ジャーナリズムが一音のミスも犯さぬテクニシャンだと騒ぎ立てたことで、本人も必要以上に技術の鍛練に勤しんだのではないかと私は想像します。あの妖気が立つような目覚ましい技巧は、むろん奏者の趣味でもあったでしょうが、最高峰の賛辞を受けたヴァイオリン奏者が抱え続けた強迫観念の所産のようにも思える。豪腕に任せてただ弾きたいように弾いた演奏ならば、もっと流麗で楽天的なムードが生まれてもおかしくないでしょう。

アコースティック録音のSP時代から活動していたハイフェッツとしては、50年代の再生媒体の変化に伴う音質の向上にはやはり意識的にならざるを得なかったでしょう。モノラルLP初期の1954年に、彼はバッハの無伴奏全6曲をRCAに録音していますが、力が有り余っていたはずの1930年代よりも奏法が緻密になり、解釈が突き詰められています。ブルッフの協奏曲第2番、ヴィエニアフスキの協奏曲第2番、コヌス、チャイコフスキー、シベリウス、グラズノフの協奏曲、ブルッフの「スコットランド幻想曲」・・。ステレオ初期にかけてのこれらの名録音では、彼独特の水晶のごとく研ぎ澄まされたヴァイオリン芸を世界のレコードファンに印象付けました。

私は楽器の音質だけを取ればオイストラフとかグリュミオーの方が好きですし、一般に美しいヴァイオリンの音と言えば彼らの奏でる肉付き豊かな、格調高い音が想像されるでしょう。ハイフェッツの音質はそれよりも硬く引き締まり、低絃のD、Gはやや潰れ気味に聴こえる。その音質自体は必ずしも好みではないですが、音楽的感興の豊かさ、殊に閃きや天性の歌心においてはハイフェッツのアプローチに孤高の魅力を感じる曲が多々あります。

コルンゴルトの協奏曲もまさしくその一例。新しい未来への眼差しと古きよき時代の感性が入り交じった曲ですが、ため息の出る美しい叙情、泡が弾け飛ぶような技巧的な音型はハイフェッツの面目躍如というところで、ベートーヴェン、ブラームスといったヨーロッパの古典曲以上に、ヴァイオリニストの個性との相性が良いようです。伴奏オーケストラの合いの手の技術も見事。録音もいい。そして思い切りのよいスリリングな独奏には、既成概念に囚われない初演者ならではの自信が漲っています。
やはり世の中には各々の音楽の側から選ばれる人物というのがあって、ハイフェッツの場合、とりわけロマン派から20世紀の同時代までのヴァイオリン曲において、より良き情感を引き出すヴァイオリニストではないだろうかと思います。