本書は現在NHKで放送中の連続テレビ小説『おちょやん』のモデルとなった女優、浪花千栄子さん(1907-1973)が昭和40年に発表した自伝です。

『水のように』
著者:浪花千栄子
発行:2020年11月30日・朝日新聞出版
話題のテレビドラマは全然見ていないのですが、自伝のほうは著者の品性と人情深さが丁寧な文体の上に現れていて、感動のうちに読了しました。
浪花千栄子さんは凛とした容貌の、どんな役柄もこなす演技力のある女優で、爛漫とした笑顔で話す関西弁が印象的な人でしたが、経歴については大阪生まれということ以外ほとんど知るところが無かった。今回この本を読んで、幼年から成人前にかけて、尋常でない苦難の日々を送っていたことが初めて分かりました。
1907年、大阪・富田林の金剛山の麓に生まれる。甲斐性がなく人格的に問題のある父を持ったために、貧乏のどん底で幼少期を送らねばならず、生活の雑用に追われて小学校に通うことさえ出来なかった(母親とは4歳の時に死別)。早くも9歳から道頓堀のある芝居茶屋へ女中奉公に出され、何と給金なしで8年間も重労働を続ける。労働基準法もない時代の話で、勤務時間が長いうえ全く人間らしい扱いを受けなかったという。
その茶屋を辞めてから一旦故郷の富田林に帰る。しばらく地元の店でも奉公を続けていたが、やがて心機一転をはかり生計の当てもないまま京都に出る。ダンスホールで女給のアルバイトをしている時、同僚のふとした言葉がきっかけになり映画、芸能の世界に足を踏み入れる。
モダンな容姿を生かし、様々な映画会社や劇団に籍を置いて女優として働くようになる。戦前戦後を通じ松竹新喜劇のスターとして活躍したが、1950年代からは巨匠監督たちの映画に出演する機会に恵まれ、それ以後は全国的に知名度が上がる。そしてその頃に嵐山の天龍寺内に建てた、自宅を兼ねた旅館『竹生』を経営しながら、お母さんのように慕われる国民的女優として多忙な日々を送る・・。
彼女の生まれついた環境が普通の文化的生活とはいかに程遠い次元にあったか。村でも一番の貧乏な家であったらしく、その幼少の記憶は有名になって生活の安定が得られたのちも決して消え去ることはなかったようです。
睡眠時間が4時間という多忙きわまる女中奉公のさなか、便所の中で新聞の切り抜きを見ながら漢字や熟語を少しずつ覚えるという勉学法を続けた千栄子さんは、執筆時の58歳になっても自らを無学文盲と卑下していますが、そんな話がにわかに信じられないくらい感性豊かな表現能力を備えている人です。言葉づかいに味があり、喩え話が巧みで、場面々々の情景が生き生きと浮かび上がるような語調やテンポを持った文章です。殊に貧乏生活や奉公を宿命として耐え忍ぶときの心情などは、テレビの再現映像に頼るよりも千栄子さん本人の文章から想像してみる方が実感が深くなると思います。
一般に苦労話というのは、温室育ちの君たちには私の人生におけるような辛い経験は想像もつかないだろう、という風な一種の自慢話に陥ることが多い。話し手は自分ほど世間の辛酸を嘗めてきた者はないと考えているのでしょうが、実際には、他人の苦労や悩みの度合いを外側から推し測ることは存外にむずかしいものです。人と自分の経歴を比べて、自分の方が苦労しているとか惨めだとか思い始めると、其処にどうしても傲慢さや卑屈さが出てきて当人の人間的成長を止めてしまうような気がします。むしろそれなら、苦労話などせずに、一見屈託もなく飄々と生きている周囲の人々の、内心の苦しみや忍耐力を想像してみる方が、精神を鍛える一番の薬になるのではないか。私はそう考える方なので、苦労話を好んでする人はあまり信を置く気になれない。傷口をわざと広げて見せて大人の同情を引く子供がいますが、自分に甘いか厳しいかという言い方をするなら、甘くて未熟な大人だと言わざるを得ないでしょう。
しかし、苦労話を聞いたり読んだりしてためになる例も、少数ながらあることも確かです。千栄子さんだって苦い過去を忘れている訳ではなく、人に自分の頑張りようを読み聞かせたい気持ちで書いている部分も多々あります。けれども読んでいてうんざりしないのは、この人の謙虚さや人徳のゆえでしょうか。卑屈にならず現在の立ち位置から見て、若い自分に課せられた試練、宿命だったと受け止めているからでしょう。今を生き、将来を見据えるときに、昔の記憶を自分の成長のための薬にしている場合は、それがどんなに苦心惨憺に満ちたものであれ、過去は清々しい光を浴びた物語になるように思います。
幼いころ、髪をとくのも洗うのもしてもらったことがない少女の頭にはおびただしいシラミが湧いていました。自宅では近所の子供たちと遊ぶことがよくありましたが、ある日から誰も寄り付かなくなり、たまに遊びに来ている子があるとその親が飛んできて無理やり子供を連れ帰ったそうです。
千栄子さんはそのわけを知った時、子供心にもはげしい劣等感に襲われ、家から程近いところにある竹やぶに弟の手を引いて逃げ込みました。
「それ以来、私は竹やぶの中に、私の安息の場所を見つけていました。そこには、第一、私を白い目で見るおとなたちの目が届きません。
竹と竹の間を一直線に無数の太陽の光線が美しいしまをつくり、ごくらくのような清らかな静かさがそこに現出され、まるで自分がお姫さまになったように思えたり、季節々々つばきの花が赤いかわいい花を咲かせ、ぐみやあけびが実り、小鳥のさえずりは私に歌いかけるように思えたりするのでした。
雪の降る竹やぶは、入り交じる竹の葉をたわめている白銀のトンネルをくぐるのが、まるで夢の国のよう、ちょっとでも触れると、えり元へ冷たい粉雪が散りかかって現実へ引きもどされるのでしたけれど、こうして春も夏も秋も冬も、一年中、私は竹と遊び、竹と語り、竹を愛することに、自分の喜びを見いだすようになりました。
浪花千栄子と竹の因縁は、こうして始まっているのでございます。それから五十年近くを経た今日、大好きな竹にかこまれて住めるようになりましたが、ある意味では夢を実現したこの上ない幸福者だと、感謝いたしているしだいでございます。」(p.11~12)。