明治文壇の大御所のひとり坪内逍遙(1859~1935)が詠んだ有名な和歌の短冊。
絹の短冊一枚を侘びた風情のある揉み紙の表具に貼り付けたもので、美術研究家の松下英麿氏が箱書きしています(中央公論編集部長、本間美術館常任理事、早稲田大学英文科卒)。
熱海 ちかき山に雪はふれゝど常春日熱海の里にゆげたちわたる
せうよう
一般には「小説神髄」やシェークスピアの翻訳で知られる逍遙は、早稲田文学の父と言うべき存在で、先述の文士相馬御風の恩師でもあります。糸魚川の歴史民俗資料館には後年に達筆の二人が交わした手紙が残っています。
熱海の町をこよなく愛した彼は、温泉街のはずれの水口町に「双柿舎」という名の庭園付きの別荘を構えました。私もかなり以前に一度訪ねたことがありますが、広く熱海湾内を見渡すことのできる邸宅と庭園は、逍遙を尊敬する人々の手で今も大切に保存されています。又、温泉街を流れる糸川沿いには、この短冊と同じ歌を逍遙の筆跡で刻んだ歌碑が建っています。
文士の書というのは、別段書家風でなくともそれぞれに個性や性格が感じられて興味深い。「物書き」という言葉どおり、日々の書く文字の量は専門書家に負けないくらい多いわけで、筆を執る手が我流なら我流なりに古慣れている印象を受けます。枯淡で素朴なもの、美麗なもの、飄々として形式張らないもの、頑なまでに自分の型を崩そうとしないもの、などその性格、雰囲気は十人十色ですが、明治生まれあたりまでの人には書くことへの特別な気負いがなく、筆や墨への日常的な親しみがあるように思います。逍遙の筆跡も身構えなく、型にとらわれずさらさらと書き流した体のもので、墨を目で追っているだけで快い気持ちになる。特に熱海が好きな私にとっては、この湯の町への思いを素直に滲ませた逍遙の歌はありがたみのあるものです。