一貴選手、祝、日本ランキング大会初優勝です! | 藤枝NEW青葉庭球倶楽部

一貴選手、祝、日本ランキング大会初優勝です!

インスタグラムで結果をご存じの方々も多いですが、嬉しい事なので、

 

 

ここにも載せます( ^)o(^ )

 

 

やりました!

 

 

一貴選手が、初優勝!

 

 

これで、90ポイント加算出来たという事です。

 

 

現在、227位で、9大会で合計160ポイントでしたが、これで250ポイント。

 

 

日本ランキング、180位前後に上がります。

 

 

日本ランキングシステムは、年間20大会のポイントが加算されるので、

 

 

昨日の大会が10大会目。あと10大会は、ポイント加算出来るので、

 

 

更に上を目指して下さい。

 

 

今年の3月に、初めてベスト4に入りましたが、それ以外は、去年の

 

 

ポイントが大きく無くなる程、ポイントを稼いでないので、まだまだ上昇可能です。

 

 

「100位内に何とか早く入りたい!」

 

 

そう昨日言っていました。

 

 

100位以内だと、総ポイントが850ポイント程必要になります。

 

 

600ポイント加算出来れば、100位内には入れます。

 

 

ただ、昨日の大会は、グレードが一番下で、賞金も無しの、ランキングを

 

 

上げる為の大会です。

 

 

なので、優勝しても、90ポイントでしたが、ランキングが上がれば、もう少し

 

 

グレードの高い大会で、尚且つ賞金も入る大会に、本戦から出場出来る様に

 

 

なります。

 

 

そうなれば、優勝出来なくても、加算ポイントが大きくなるので、ランキングを

 

 

上げやすいです。

 

 

自分が高3の時、全日本選手権に、全日本ジュニア18歳以下優勝で、

 

 

WCを日本テニス協会から頂きました。

 

 

結果は2回戦敗退でしたが、この年の10月の千代テニスクラブで、

 

 

優勝賞金20万円の大会に、これもWCで出場出来て、優勝。1月の全日本

 

 

室内も、日本テニス協会から、WCを頂き、ベスト8。

 

 

この3大会だけで、日本ランキング40位程になれたので、一貴選手の様に、

 

 

賞金無しの大会を回る苦労は、日本国内ではしなかったので、一貴選手は

 

 

大変な事です。

 

 

ですが、モチベーションは更に向上した様子でした。

 

 

今回の優勝で、「次からエントリーする大会は、賞金が入る、一番下の

 

 

グレードの大会でも、本戦ストレートインで、尚且つ、シードが付くかもしれない。

 

 

それで2回戦からの出場で、勝てばポイントも大きく、賞金も入る!」

 

 

そう話しをしてくれたので、ここから一気にランキングが上がる可能性

 

 

があります。

 

 

来週の大会は、今回と同じグレードの大会なので、賞金が付きません。

 

 

ポイントも大きく入りませんが、出場選手が、20人割っていたので、

 

 

チャンスはあるかもしれないですね。来週も応援宜しくお願いします。

 

 

昨日は自分は朝から緊張していて、結果がラインで来たのが、12時半過ぎ。

 

 

優勝したという事で、大喜びをしました。

 

 

本人も喜んでいるんでしょうが、自分も山内さんも大喜びでした。

 

 

自分が選手時代は、優勝しても喜んだことが、一度も無いです。

 

 

自分の中の気持ちは

 

 

「ホッとした」

 

 

これです。

 

 

喜ぶより負けなくてホッとした。

 

 

というのも、ジュニア時代は、コーチからは

 

 

「国内で負ける事は許されない!世界が舞台だ!」

 

 

と言われ続けていたので、逃げ道も無く、優勝して当たり前の条件を

 

 

突きつけられていたので、優勝しても嬉しく無く、ホッとするだけでした。

 

 

高3の4月の、ヨーロッパ遠征選考大会では、準決勝で負けてしまい、

 

 

日本テニス協会のお偉い方々三人に部屋に呼ばれ

 

 

「準決勝で負けるような強化はしていない!何をしているんだ!」

 

 

と怒鳴られました。ファイナルタイブレーク、1-6から、6-6まで追い付く

 

 

粘りは見せました。負けたくて負けては無いです。

 

 

でも、自分に周囲の大人が期待していたのは、結果が全て。

 

 

だから、試合に勝って、嬉しいという感情は持ったことが無かったです。

 

 

コーチをしてからですね。

 

 

選手達が勝って嬉しい!

 

 

そういう気持ちを知ったのは。

 

 

だから、一生懸命試合をして、結果が0-6でも、自分は怒りませんし、

 

 

選手が全力で頑張ったなら、満足ですし、負けた原因はコーチの自分の

 

 

責任でもあるので、負けた事を選手一人に背負わせる事は一切しません。

 

 

自分は、叔父がコーチで、テニスクラブを経営していて、叔父自身も、

 

 

プロテニス選手で、日本ランキング15位前後には居たので、環境には

 

 

恵まれていました。

 

 

ただ、親族がコーチだと、感情が入りすぎて、選手を潰す事が多いです。

 

 

自分が知っている、年上のトッププロ選手達は、引退後、コーチをしていても、

 

 

自分の子供にテニスはさせても、自分では指導せず、他クラブに預ける人しか

 

 

知りません。

 

 

自分がアルバイトをしていたテニスクラブのチーフコーチの一人も、デ杯代表で、

 

 

二人の姉妹がいましたが、他クラブでテニスをさせていました。

 

 

「自分の子供だと、感情が入り過ぎて、家でも、テニスのダメ出しなどを

 

 

してしまう可能性があり、オンとオフが出来ないと、潰してしまう。その点、

 

 

他のコーチに預ければ、全て任せているので、家でテニスの話になっても、

 

 

練習を見ていないので、ありきたりなアドバイス、足を動かそう!

 

 

しっかりラケットを振ろう!この程度なので、家でもテニステニスにならず、

 

 

子供が伸び伸びテニスが出来る」

 

 

そういう話をしてくれる、元トッププロがほとんどでした。

 

 

自分は、テニスをする環境には恵まれていましたが、親族という事で、

 

 

中2のヨーロッパ遠征2か月の時は、

 

 

「2か月間も、他のコーチに任せられん!」

 

 

という事で、叔父が日本テニス協会に頼んだのかは知りませんが、

 

 

叔父が日本代表監督で、遠征に付いてきました。

 

 

テニスクラブ経営がある中、そちらを蹴ってまで、自分に付いて来てくれたことは

 

 

感謝しかないですが、イレギュラーで高1の途中で、叔父はコーチでは

 

 

無くなりました。

 

 

もし、高3最後まで、叔父がコーチだったら、自分は潰されていたでしょう。

 

 

とにかく、自分は逃げ道が欲しく、万が一負けたとしても、

 

 

「大丈夫!また頑張ろう!」

 

 

そういう逃げ道が欲しかったんですが、叔父では逃げ道が全く無く、

 

 

日本国内の大会でも、夜は叔父と同じ部屋に泊まりましたので、

 

 

心が休まる事も全く無かったので、高3の最後まで叔父がコーチだったら、

 

 

大学卒業後は、一切テニスはしていなかったでしょうし、51歳になっても、

 

 

テニスに関わるなんてことは絶対にあり得ない事でしょうね。

 

 

ただ唯一救いだったのが、自分の両親はテニスをしません。

 

 

父親は、野球の練習は厳しい指導でしたが、テニスは素人だったので、

 

 

テニスを始めてからは、一切テニスの試合で勝とうが負けようが、

 

 

家ではテニスの事は一切話をしなく、勿論ダメ出しもされなかったので、

 

 

家ではくつろげてたのが、オンとオフが出来て、テニス頑張ろう!

 

 

と自分自身思えた事です。

 

 

両親がテニスに無関心という訳では無いです。

 

 

父親は、中学生からは、ガット張り機械を購入して、家でガット張りを

 

 

してくれました。

 

 

母親も、栄養士の元、身体作りに良い食事を作ってくれて、一度新聞で、

 

 

アスリートの理想の食事で紹介されたこともありました。

 

 

父親の考えが「その道のプロで極めた人に全て任せ、自分達は裏方作業

 

 

をすることに徹底する」

 

 

こういう考えだったので、その道のプロに素人の父親が口出しはしない。

 

 

そういう人間でした。

 

 

もし、野球の道を自分が選んでいたら、自分は父親に潰されていたでしょうね。

 

 

野球に関しては、物凄く厳しい指導だったので、中学生くらいまでは、

 

 

有望選手だったとしても、その後伸び悩み野球を辞めていたでしょうね。

 

 

そう考えると、自分の人生は、まずは小4からしか入部できなかったので、

 

 

それまでの間、運動をさせる為に、叔父が経営していたテニスクラブで

 

 

テニスを始めた。野球の少年団に入るまでの予定が、小4までで、

 

 

テニスの結果が出てしまい、父親も野球を断念(ただ、中学に上がるまでは、

 

 

正直な気持ちテニスは辞めて欲しく、野球をやらせたかったそうです)

 

 

なので、テニスは素人の両親は、家ではくつろげる空間を作ってくれた。

 

 

これが野球をしていたら、無理だったので、潰されていた。

 

 

テニスだったから良かった。

 

 

叔父も、本来は高3まで指導する為に、家から2分の市高に行った。

 

 

イレギュラーな出来事で、叔父がコーチでは無くなった事で、その当時は、

 

 

練習相手も居なく途方にくれたが、今になれば、叔父が高1途中でコーチ

 

 

では無くなった事で、親族特有の、熱が入り過ぎる指導や言わなくても

 

 

良い事まで言われたり、感情が入り過ぎて期待し過ぎる指導では無くなり、

 

 

一歩離れたとことから、冷静な判断でアドバイスをしてもらえる様になり、

 

 

結果的には、叔父がイレギュラーでコーチでは無くなった事が良かった。

 

 

だから、大学でも日本一位になれましたし、プロ生活は短かったですが、

 

 

後悔するような選手生活では無かった。

 

 

そう考えると、色々な事が良い方向に重なり今の自分があるので、つくづく

 

 

「自分は付いてる人間で神様に見放されていないなー」

 

 

と幸せな人間だなーと感じます。

 

 

自分のジュニア時代は、優勝しても、何も嬉しく無かったですが、この仕事を

 

 

始めて、初めて嬉しい気持ちを知りました。

 

 

これからも、一貴選手や青葉選手が勝った報告が沢山あり、嬉しい気持ちに

 

 

なれる様、今日からまたテニス指導を頑張っていきます。

 

 

宜しくお願いします。