どうも、こんにちは(こんばんは)



本当は4月25日の命日に合わせて投稿したかった記事なんですが、

忙しさにかまけて放置していました。今日は尾崎豊について別の視点から考察してみます。

まず、過去に僕が尾崎豊について書いたこの記事なんですけど、

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この記事、1年以上前にもかかわらず毎日必ず5人~10人ほどの方が

閲覧してくれているんですね。ありがとうございます。

何だかんだ言っても尾崎って人の興味をそそるんですかね?

なので、もうちょっと踏み込んだ考察をしたいと思います。


その前に、島田清次郎という作家。皆さんはご存知でしょうか?

大正時代に活躍した早熟の天才作家なんですが、今では文壇史から抹殺されてしまい、

存在しなかったかのような扱いになっています。

簡単に紹介すると、島田清次郎は大正8年の長篇デビュー作

『地上』が大ベストセラーになり、21歳で一躍時代の寵児となり、

大正デモクラシーの時代背景の中、若者から絶大な支持を得ました。

しかし、人気が上がるにつれて態度が尊大になり、他の作家を見下し、

自分に異を唱えた友人、編集者も片っ端から切り、終止猜疑心、嫉妬心に苛まれ、

女性関係のスキャンダルやら滅茶苦茶な奇行や破天荒を繰り返した挙げ句、

心身共にボロボロになり精神疾患で入院、最後は誰にも注目されずに

31歳でひっそりと死んでいきました。

ただ、今日は島田清次郎について深く語るつもりは無いので島田については以上です。


で、尾崎豊の生涯を考えると、いつも僕は島田清次郎が重なるんですよ。

尾崎豊もそうなんですよ。マスコミに『若者のヒーロー』だの『反逆のカリスマ』だのと

チープなレッテルを張られてしまいました。

で、所属レコード会社も所属事務所も大いにそれを利用しました。

尾崎の本質って、好きな人はわかると思いますけど、決して反体制だったり

わがままな反権威では無いんです。「15の夜」や「卒業」の1フレーズを切り取って

それを反逆のカリスマみたいなイメージ付けをしたスタッフやマスコミの弊害なんです。

尾崎の本質って『唄にするまでもないような普遍性を、真面目に真剣に歌詞にして歌った』

これに尽きるんですよ。この普遍性とは何かっていうと、

皆さんだって思春期の頃、誰しも感じたはずです。何故親だから、教師だからって

子供は従順に従わなきゃいけないのか?疑念を持つことはいけないことなのか?

親や教師、ひいては社会に対する疑問や苛立ちをどう表現したらいいかもわからない。

この鬱屈した気持ちってありましたよね?

大抵の人は、「ぶっちゃけ反抗しても仕方ない」「社会ってそういうもんさ・・・」

な~んてニヒリズム気取りで体制に巻かれていきます。

長いものに巻かれた中で生きるのが大人だよ❗っと言わんばかりに。

そうした人から見たら、その矛盾に傷だらけになりながら立ち向かっている

尾崎豊を見ると、「尾崎?あぁ~あれは中2病だよ(笑)」と、貶めたくなるんでしょう。

尾崎豊の詞を見るとね?いわゆる反逆的なフレーズなんてほとんど無いんですよ。

僕なりに分かりやすく解釈すれば、尾崎豊の詞に散りばめられたメッセージって、

『自分が壁にぶつかって挫折しても、諦めずにいれば報われる日もくるはずだよ』

『孤独ってそんな悪いもんじゃないよ』

『せっかく世に産まれたんだから、傷つくのを恐れて、

挫折も失敗もしない人生なんて、それこそツマラナイぜ❗』

『頑張って努力すればいつか輝く日が来るはずだ❗』

どうですか?メチャ前向きとは思いませんか?

これが尾崎豊なんです。

この誰しもが疑問に感じるけど、イチイチ言うのは恥ずかしいし、面倒くさい。

これを敢えてリアルタイムで10代の青年が唄にして叫んだことが、

尾崎豊を不世出の稀有な存在にしたんですよ。


ただ、これは触れとかなきゃいけないけど、尾崎はその天才性故に、

周囲の大人、具体的には事務所やレコード会社のスタッフからは理解されず、

段々と孤立していきました。その後、某人気女優との不倫逃避行やら、

覚醒剤事件やらで世間を賑わし、喜怒哀楽の差が激しくなり、

猜疑心も強く、デビュー以来の信頼できたスタッフを次々に切っていきます。

恐らく尾崎は今でいう、境界性人格障害だったんでしょう。

過去に天才と言われた人が奇行を繰り返すのは、この症状が多い気もします。

そして最後は皆さん知っての通り、まさにボロボロになって死んでいきましたよね。

当時14歳の僕は好きになったばかりの大好きなミュージシャンが、

突然死んでしまった事を中々受け入れることができませんでした。

でも、どうでしょうか?ここまで読んで昭和の天才ロッカー尾崎豊と

大正の天才サッカー(作家)島田清次郎が似ているって思いませんか?

ひとつ言えるのは島田清次郎はマスコミや文壇から存在を抹殺されましたが、

尾崎豊の作品は今でも多くの人の心を捉えて聴き継がれていますし、

僕もたまに聴きますが、尾崎の曲ってちっとも古臭く感じないんですよ。

これ、やっぱり『普遍性』を歌っているからだと思います。

あとね?今のミュージシャンに対しては、尾崎より才能ある人はいると思うけど、

破天荒って意味では全然物足りないかな~w

自分のメッセージに説得力を持たすなら、

聖人君子じゃいかんと思いますよ。ミュージシャンはもっとハチャメチャしてほしい❗