どうも、こんにちは👋
昨日、車のラジオで卒業ソングの話題を話していて、そこで流れたのが、
尾崎豊の『卒業』でした。尾崎、好きだったんですよ。
僕が中学の頃に亡くなったんですけど、どハマりしました。曲も良かったけど、
何せカッコいい❗いや、むしろ美しいという表現が合っていました。
この世のモノとは思えない美しさと狂気すら感じるあの雰囲気。今はそういう人って居なくなりましたね。
で、うちの息子もそうですが、どうやら最近の若い世代にとって、
尾崎豊は中二病の典型みたいに思われているらしいですね。茶化す対象として
ネタにされているみたいです。まぁ、「盗んだバイク」だの
「校舎の窓ガラス壊して廻った」だのという反体制的なフレーズばかり
独り歩きしてるから仕方ないけど、なんか尾崎豊が中二病を笑うネタにされているのは、
1フアンとして忸怩たる思いがあります。
尾崎の書いた歌詞の1行でも深く読めたら、そんなふうに茶化せないと思うんですよね。
多少誇張もあるとはいえ、尾崎は確かにバイクも盗んだ、窓ガラスも割った、
親や教師に反発もした。でも尾崎は、それでも「自由になれた
とは歌わなかったんです。これ、めちゃくちゃ重要なんですよ。
盗んだバイクで走り出しても「自由になれた気がした15の夜」と歌ったんです。
自由になれると思ったけど、それは錯覚で「自由になれた気がした」だけだったと
自省しているんですね。校舎の窓ガラスを割っても、教師に反抗しても、
それは単に義務教育を卒業するだけで、何も成長してない、やがて嫌でも社会に出て
世間や会社での軋轢を乗り越えなきゃいけない。そのためには、
ひたむきに努力を続けなきゃいけないんだ❕ってことが尾崎には分かっていたんです。
だから『卒業』の中で「🎵あと何度自分自身卒業すれば本当の自分にたどり着けるだろう」
と、彼はここでも自分を省みることを忘れません。
そう、尾崎は18歳で既に感じていたんです。例えどんなに反抗したところで、
社会に出ないと何も変わらないし、自分も成長しないって。そのもどかしさを
あの若さで歌にして、恥ずかしげもなく熱唱したんだから。
本当、天才だったんです。今の若い世代って、努力してる人に対して、
自分だけ斜に構えて「そんなの無意味じゃん」とすぐ茶化したがるけど、
何かに夢中になって努力するって無茶苦茶カッコイイんだって知ってほしい。
僕は1991年の春、姉が持っていたシングル版の「卒業」を聞いて
その事を教えられた気がします。個人的な好きな曲は他にもたくさんありますが、
尾崎豊の最高傑作は?と問われたら、間違いなく「卒業」を推します。
あ、でも結婚して子供を持つ身になれば「誕生」って曲も泣けますけど。