①はこちらから

ある時
自分で自分を否定すること
自分の感じていることを否定すること
自分で自分を責めること
をやめていこうと決めて
ノートに書いて
自分の内側を見たときに

私の中から
私は
私の事を肯定して
生きていきたい!!
って、願いが湧いてきた

その言葉をノートに書いた瞬間

雲間からお日様が出てきたのか
日の光が一瞬、強くなって

部屋がパーっと明るくなった

私は、それを見て
神様からの祝福だって感じた

私が私の事を肯定して生きていく事を
応援されているような
そんな気持ちになった

その後すぐに
何か胸が詰まる感じがして
苦しくなった

どうして

と自分に聞いてみると
神様からの祝福??
そんなわけあるかー!!
神様は、私の事を祝福していない!!
私は、神様から祝福されていない存在!
って言葉が出てきて
ハッとした

私は、まだそんな風に
現実を受け取っていたんだ

って
悲しくて苦しくて

本当は
そうじゃ無いかもしれないのに
自分で勝手に
私は、神様から祝福されない存在って
決めつけていることが
悔しくて悔しくて。。。
もう
そんな目で世界を見て
生きていくのをやめよう思った
すると今度は
私の中から
神様から祝福されたい!!
って願いが湧いてきた

"私は、神様から祝福されない存在"
という視点で世界を見ることを
やめるってことは
今まで
"私は、神様から祝福されていない"
と感じたその時に起こった出来事を
許すことと同じことなのかもしれないと
今、これを書きながら
感じています



ずいぶん前の話ですが
偶然、嬉しいこと

喜ばしいことがあったときに
"神様に祝福されている"って言葉を
使っている人の事を思い出しました
その時、私は
神様に祝福
そんな事あるの



おめでたい人だな〜
って思っていた

昔の私の感覚だと
この人だから、神様から祝福される
この人だから、神様から祝福されない
みたいに分類されるものだと
思っていたけれど
本当は
そんな分類は
最初から存在していなくて
ただ
私がどんな目で世界を見ているか
私が何を信じて生きているかだけの
違いだったと今は感じています



今回は、この辺で

それでは、また
