恵まれている | とにかくやってみよう!

とにかくやってみよう!

2014年7月9日待望の長男を出産。彼は18トリソミーでした。ただただ愛しい我が子は、ただただ強く生き抜き、10月27日お空に帰っていきました。
そんな我が子の備忘録と、単純に私の独り言の場としてやってみようかな的、ブログです(^_^;)

今日は、青と育が生まれた日赤病院に
写真展のご案内に行ってきました。

いつもの恩人助産師さんに、
あらかじめメールし、
師長さんに話を通してもらいました。

ところが
彼女からの返信には、
話を通す上で、写真展の意義や目的、誰に見てもらいたいかなど趣旨を明確にしてほしいと。

いきなりのビジネスモードに、
知り合い気分で気軽にお願いした事を反省…
慌てて、企画書から聞かれた事を抜粋して
メールで送ると、

わかりました。師長に話を通しておきますが、
もう少し細かく明確にした方がいいと返信。

しかも、当日自分は外来だからいけないと…

少し寂しくなりました。
青がいなくなって2年。
育も無事生まれ、もうすぐ1年。
日赤にお世話になる事も今はもうない。
もう患者じゃないからかな…
他にも日々多くの患者と家族を抱えているんだもんな…
ビジネスライクな感じになっちゃうのかな?

それならばと、
本気でプレゼンするつもりで、
考えに考え、しっかり組み立てて、
パパとも相談し、
だいぶ緊張感たっぷりにNICUのインターホンを鳴らしました。

すると青も育も知ってる助産師さん「係長」が出て来てくれて、
「久しぶり~(^^)どうしたん?」とビラを指さして質問してくれ、
凄い!行きたい!そんなんしてるんや!
とめっちゃ食いついてくれました。

そこに師長が出て来てくれて、
師長も「久しぶり~(^^)弟くんは保育園?」と温かく迎えてくれました。

それに少し安心して、
企画書にはいろいろ書いていますが、
●18っ子ちゃんとその家族が誰に気遣う事なく交流できる場所として
●私達親子はおかげさまで良くしてもらったけど、それでもやっぱり医療の地域格差や病院格差がある現状において、NICUを卒業し、病院を卒業した後の子供や家族が幸せに懸命に生きる姿を、医療に携わる人達に見てもらい、少しでも感じてほしい
と、私の考えを話せました。

師長さんは、うんうんと大きくずっと頷いて聞いてくれました。
そして、
来てくれて、教えてくれて本当に嬉しい!
お父さんお母さん達がこんなに頑張っててくれてて本当に嬉しい!
と何度も繰り返し言ってくれましたショボーンキラキラ

自分の昔の18っ子体験や
(30年近く前に18っ子の赤ちゃんが小児科に入院してて、急変し、
1人の先生が、助けたくて挿管したら、
他の先生達に物凄く怒られ、仲間外れにされたそうです。
当時は訪看もなく、保健師も怖がって関わってくれないような時代で、
助けたとして、家族を一生病院から出れなくする気か!と。
でも結局その先生はさらに気切までし、その子は5歳まで生きたそうです)

18っ子家族との関わりで後悔してる事
(個人情報がうるさくなってきた時代に、
早産で300gで生まれた赤ちゃんの写真を看護学校の授業に使うため、
親の許可をもらい成長記録として撮りだめていたんだそうです。
その子が1歳になる頃、写真をデータで渡したそうです。
するとNICUという小さなコミュニティで繋がっていた、
同時期に入院していて、1歳になるくらいで亡くなった18っ子のママが、
うちの子はありませんか?と聞いてきたと。
そのママは、最初のあの絶望期に我が子が受け入れられず写真を撮れずにいたそうです。
個人情報かなと思って撮らずにいた事をほんまに後悔したんだそうです)

そんな話を物凄くしてくれて、
だから私達もずっとご家族とのこと考えてるって言ってくれました。

さらにさらに、
私の恩人助産師さんについても、
彼女は、学会や研究会で、プレゼンしたり、発表したりする仕事が多いから、
若い子達にもなかなかアカデミックなダメ出しとかするんよ(^_^;)
青ちゃんママの企画、病院にちゃんと通してあげたかったんだと思う。
と、教えてくれました。

帰りの車で、
もうなんかあったか過ぎて、
心がジンジンして、
泣けて泣けて仕方なかった。

わたしは凄い恵まれている。
青はまだ愛されてる。
恵まれている。
こんな素敵な出会いをさせてくれた息子を持てた私は、恵まれているんだな~


昨日のお願いの件↓↓↓
すでに何人かメール頂いたようで、
お名前なかったのでどなたか存じませんが、
本当にありがとうございますラブ
嬉しいですキラキラ

引き続き募集しております!
3つの質問に答えるだけ!
ぜひぜひご協力お願いします!




最後に、
今戦ってるお友達がいます。
だいぶ落ち着いたようですが、
皆さんパワー送ってあげてください!!