命の記憶 ⑤ | とにかくやってみよう!

とにかくやってみよう!

2014年7月9日待望の長男を出産。彼は18トリソミーでした。ただただ愛しい我が子は、ただただ強く生き抜き、10月27日お空に帰っていきました。
そんな我が子の備忘録と、単純に私の独り言の場としてやってみようかな的、ブログです(^_^;)

一番ダメージを受けやすいというのが腎臓らしく、
オシッコがでなくなり、
青はみるみるむくんで行きました。

あんなに握りこんでた拳も、
パンパンになり開ききった状態に。

看護師さん達の提案で、
3ヶ月の手形足形をとりました。

むくんだ顔は育そっくりです。
だから、健康に生まれてきた顔になっていったんだと思います。

そんなむくんだ青を、
ICUの看護師さん達はかわいいかわいいと、とにかく可愛がってくれ、
私達は、そんな看護師さん達と冗談を言いあったり、
恋話とかまでしたりして、とにかく楽しく毎日を過ごしました。

ミルクも少しだけ再開するほどになりました。

不思議な事もたくさん起こりました。
たまに、
血圧の数値が下がり気味ってなると、
青のほっぺに口をつけ、
「青ちゃーん、血圧上げよね~」
というと、スススッと戻る。

抱っこしてると、呼吸機の数値がどんどん良くなり、
設定をどんどん下げれました。

ママの時だけ。
パパが感動してました。
これが一番の手当てだねって。

入院前にすでに勢いがなくなり
止まりそうと焦ってた母乳は、
青が危なくなった日から、復活!
むしろ出すぎなくらい。
青を、助けたかったんかな?

夜は添い寝をし、
お腹にいる時からよく歌ってた、
「ひまわりの約束」を子守唄に歌いました。

ずっとずっと3人でいました。

パパも会社の理解を得て、
ずっとずっと3人で肩を寄せ合って、
大事な大事な時を過ごしました。

それはそれは幸せで、
切ないくらい幸せな時間でした。


10日目の朝。
10月27日。

酸素が80。
呼吸機からMAX酸素を送っても、
吸引しまくっても、80。

先生達が集まってきました。
あれよあれよと言う間に70、60、50と下がっていきました。

事態についていけなかった。
今朝まで普通だったから。
でも、あの日からずっと、
無駄な期待はしない!覚悟の気持ちを緩めない!と頑張っていたから、
 パパの言葉がスッと入りました。

何しても上がらないなら、
抱っこさせてください。
ママに抱っこさせてあげて下さい。

もしかしたら、あなたの腕の中で最期を迎えるかもしれない。
それでもいい?できる?

はい!
青を抱っこしたいです!


青は重かった。
むくんで大きくなった青は、
すでに6.8キロになっていました。

青をいっぱいいっぱい抱きしめて、
最期のお話をしました。

青、頑張ったね。
もうしんどいの終わるからね。
青、天国にいったらね、
思いっきり駆けっこしたり、
自転車とかも乗ったりしてさ、
青がしたかった事いっぱいできるよ。
楽しい事いっぱいしたらさ、
またママのとこへ戻ってきてね。
天国の成果をママに見せてね。
大好きよ。
大好きよ、青ちゃん。
ありがとうね。
青ちゃん。
大好きよ。


気づけば、部屋には、
関わってくれた先生や、看護師さん達がみんな来てくれていました。
みんな泣いてくれていました。

最期の最期まで
ずっと唯一正常心拍数だった心臓が、
疲れたかのように、静かに0になりました。

パパが叫びました。
先生!どうにかなりませんか!?

先生は苦しそうに、無理だと。

パパは
先生、青は管が嫌いなんです。
早く抜いてあげて下さい。
と、穏やかに言いました。

死亡確認がされ、
処置のため、一旦部屋を出て、
廊下で人目もはばからず、
私達は抱き合って泣き崩れました。

でも、この10日間のおかげで、
最期の時間を青がくれたから、
しっかりとしていられた。
先生達、看護師さん達に感謝しかなかった。

おくるみにくるんだ
オシャレした青を抱き、
病院をでる私達の後ろには、
Nの看護師さん達。
Nの先生達。小児科の先生達。
脳外科の先生達。リハビリの先生。
ICUの看護師さん達。
総勢20人くらいの皆さんが付き添ってくれ、
帰ってた先生達も駆けつけて、
みんなで見送ってくれました。

教授の回診か!と
突っ込んで、みんなで笑った。

こんなにもたくさんの人達にお世話になったんだな。

たった4ヶ月足らずの赤ちゃんの為に
こんなたくさんの人達が泣いてくれている。

これが、
青が今まで頑張ってきた証拠だ!
みんなに愛されて、応援されて、
よくしてもらった。

しかも、

最期の時間まで、用意してくれた。
ママの気持ちに整理がつくまで、
待ってくれた。頑張ってくれた。
ほんとにほんとにこの上なく、誇らしい気持ちでした。
最高の息子でした。
自慢の息子でした。
私達は幸せだったと強く思いました。