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忘れられない方がいます。
3年ほど前、私が通っている整骨院で時々会っていたおばあさんです。
たびたび話しかけてくれるので、私のほうから声をかけるようになりました。
そのおばあさんは認知症を患っていました。
会うたび同じ話をされるので、私はいつも初めて聞くような顔をしておばあさんの話を聞きました。
早くに亡くなったご主人が良い方だったという話。
マッサージとお料理が上手なお友達がいて、
よく家に呼んでマッサージをしてくれて、お昼をご馳走してくれたという話ですが、
そのお友達は亡くなっておられるそうです。
そして最後に、
「良い人は早く亡くなると言うけれど、私は良い人じゃないからまだ生きている。」と言って笑いました。
でも、そのおばあさんは、人柄の良さがにじみ出ていました。
きっとそのおばあさんが優しい方なので、周りの方も良くしてくださったのでしょう。
昔から『良い人ほど早く亡くなる。』と言うけれど、
早く亡くなる人は、
「役割を果たしたからこちらにいらっしゃい。」と、神様に呼ばれ、
今生きている人は、
「生きて償いなさい。」と、
「あなたには、まだやることがある。」と、神様に言われているのではないか・・・・。と、
先日、ふとそんなことを思いました。
今年の4月、アンズは夢だったデザイン専門学校に4日間だけ通いました。
1時間電車に乗ることが辛いと言っていました。
それから学校まで15分歩きました。
でも、それも4日が限界でした。
私は、アンズが学校に行くとか行かないとかいうことよりも、
無理をしてアンズが具合が悪くなることのほうが心配でした。
だから、
「もう学校辞める。」というアンズの言葉を聞いたとき、
落胆するよりも、むしろホッとしました。
「たった4日でダメなのか。」
そう思うのが普通と思います。
でも、私は、アンズがこんなに頑張るとは正直思っていませんでした。
高校は、通信制の高校に私が車で送り、週に2日か3日通うのがやっとでした。
具合が悪くて辛いときもありました。
それでも、希望するデザイン専門学校に通うことを目標に、無事卒業できました。
3月、
「私、4月から毎日学校に通えるかな?」と不安がるアンズに、
「アンズには、アンズの道があるから。」と言ったことがあります。
専門学校に通う以外の道もあるという意味です。
でも、アンズは、
「私はあのデザイン学校に通いたいの!」と言いました。
だから、その話はもうしませんでした。
1月、主人にアンズに今の状態を話し、
「専門学校に毎日通うことは、たぶん無理だと思う。
でも、可能性はゼロではないと思う。」と言いました。
主人は、
「俺も無理だと思う。
でも、だからといって、何もなくなってしまうのも困る。」と言って、
入学金、授業料を払い込んでくれました。
でも、学校の近くにアパートを借りる勇気は私たち夫婦にはありませんでした。
専門学校に通い始めてから1ヶ月間、アンズは不安が強くて私から片時も離れられない状態が続きました。
それから少しずつ体調を取り戻しつつありますが、まだ完全に入学前の状態には戻っていません。
高い授業料を払いました。
払い込まないという選択肢もあったと思います。
でも、実際やってみたことで、アンズは親のせいにすることなく自分で納得でき、
次のステップに進めたと思います。
「今までも、これからも、やりたくてもできないことが多いであろうアンズに、
思った通りにさせてあげたい。」という私自身の思いもありました。
アンズは今、心療内科のデイケア(https://blogs.yahoo.co.jp/maikyonizu/39532963.html)に週2日か3日通っています。
デイケアとは、医師の指示のもと行われる作業療法による治療です。
アンズの今の目標は、
『すぐには無理だけれど、時間をかけてデイケアに毎日通えるようになって、
1階のお年寄りのデイサービスでアルバイトをしている人もいるみたいだから、私もできるようになりたい。
それから、普通のアルバイトも出来るようになりたい。』ということです。
自分で目標を決めて、それに向けて頑張る。
アンズらしいと思います。
「頑張りすぎると具合が悪くなってしまうから、無理をしない程度に頑張る。」とも言うようになりました。
「今できることをする。」
私やアンズのように心の病気を持つ人には、とても大切なことです。
お久しぶりです。
1年半、ブログの更新がなかったのは、ブログを更新する気力がなかっただけです。
神経症という病気を持っていますから、そんなこともあるわけです。
でも、最低限の家事はこなし、アンズといっぱい話をし、いっぱい笑っているので、心配しないでくださいね。
アンズはこの3月で無事通信制の高校を卒業しました。
友達もたくさんできて、楽しい高校生活を過ごすことができました。
でも、そんな中でも調子を崩し、辛い時期もありました。
本人も、学校の先生も、心療内科の先生も、私も、
「もう学校に行かれないんじゃないか。」と思ったことは何度かありました。
「もう、全部やめちゃいたい。」そう言って泣いたこともありました。
でも、それは本心ではないと私は思っていました。
アンズは諦めませんでした。
何日か休むと、自分の夢のためと、友達に会うために、また学校に行きました。
卒業式の数日前、アンズは言いました。
「私の高校生活は虹色だった。」と。
私が、
「色々なことがあったからね・・・・。
辛いこともたくさんあったけれど、虹色なの?」と聞くと、
「学校に行くのも、行かないのも、辞めたのも、自分で決めたから。
だから虹色なんだよ。」
私はアンズに「学校に行きなさい。」と言ったことも、「行かなくていい。」と言ったこともありません。
その他、「あれをしなさい。」「これをしなさい。」とも言いません。
本人の辛さは本人にしか分からないからです。
「だってあの時お母さんが言ったから。」と、後悔させたくもありません。
自分で決めたことは例えうまくいかなくても、自分の責任だから、納得できると思うのです。
だからアンズがそう言ってくれたことが、とても嬉しかったのです。
アンズは、
「病気になって良かった。」と言います。
学校に行きたいのに、行くことができず、
毎日辛い気持ちや考えに支配され、死ぬほど辛いのに、そう言うのです。
「普通に学校に通えれば、そりゃあ良いけれど、きっと何も考えていなかったと思う。」と言います。
アンズは、普通の子が経験しないことをたくさん経験し、
普通の子が考えないことをたくさん考えていると思います。
私は、アンズの辛い姿を見たくなくて、
「アンズが病気にならなかったら良かったのに。」とつい思ってしまいます。
でも、アンズは私がそう思うことを嫌がります。
どんなに辛くても、アンズは今の自分を受け入れ、
「これが私の人生。」と言います。
強い子だと思います。
私には真似ができません。
でも、アンズにはもうその話はしないことにしましした。
私がそう言うことは、今のアンズ自身と、歩んできた人生を否定することになると思うからです。
それから、アンズは、
「その時、その時で1番良い選択をしてきたから、後悔はしていない。」と言います。
アンズは以前、
「どうするのが良いか考えて学校を休む時もあるよ。」と言っていたことがあります。
転校を決めた時も,
「嫌なことから逃げるのではなく、1番良い方法を選びたい。」と言っていました。
「勉強したいのに、学校に行くと具合が悪くなるから、かえって勉強ができなくなっている。」と言うのです。
転校すれば、必ずしも全て上手くいくとは限りません。
でも、何が起こっても、アンズはきっと後悔はしないと思うのです。
こんなアンズでも、
時々ネガティブな発言を繰り返すことがあります。
「私はずっとこのままなの?」
「そんなの嫌だよ。」などと。
そんな時は具合が悪い時なので、
私はそこに巻き込まれずに、アンズを引っ張り上げてあげなければなりません。
アンズの言うことをいくら否定しても、その時は何を言ってもダメなので、
私が否定すればするほどアンズはその中に入り込んでいくような気がして、
話を切り上げて気分を変えることもあります。
心療内科の先生も、アンズの場合、それで良いと言っていました。
車で1時間ほどの街で開かれるエヴァンゲリオン展を、アンズは何ヶ月も前から楽しみにしていました。
私が連れて行かれる場所ではないので、お父さんに話しました。
主人も興味を持ったようで、夏休みになったら一緒に行く約束をしていました。
子ども達が小さい頃から、家族で出掛けると子ども達はいつも私について来て、
後ろから主人が歩いてくる形になります。
だから、今回は私は行かないつもりでいました。
エヴァンゲリオンに興味がないということもありますが、
アンズが、
「お父さんと出掛けるのも楽しい。」と、いつも言っているのに、なかなかその機会がないということもあります。
今後、アンズがC高校に通えなくなったとき、2人の関係が悪化しないとも限らず、
その前に思い出を作っておいてあげたいという思いもありました。
主人に、
「お母さんも一緒に。」と誘われましたが、
「今回は2人で行って来て。
最近疲れているみたいだし、休みたいの。(それも本当のことです。)」と断りました。
主人は2人きりで出掛けることに不安があるようでしたが、
「親子なんだから、別に話すことがなければ何も話さなくていいんだし。
アンズはそれでも平気でしょ。」と言うと、
「私は全然平気。」と答えました。
一眼レフカメラに興味を持ち始めたアンズは、お父さんのカメラを借りて喜んで出掛けて行きました。
エヴァンゲリオン展はすいていてゆっくり見られたようです。
写真の撮り方もお父さんに教えてもらって何枚か撮って来ました。
お互いに楽しい時間を過ごしたようでした。
その後、幾日かして事件がありました。
私が留守にしている間、アンズがカメラを持って自転車で出掛けたそうなのです。
時間は午前11時頃、厳しい暑さが続いていた時期でした。
主人が台所で好物の青唐辛子を焼いていたとき、アンズから電話がありました。
具合が悪くなり、倒れそうだということはわかったのですが、
アンズは意識がもうろうとしていて、自分のいる場所がどこだかよくわかりません。
すると突然見知らぬ男性が電話に出て場所を教えてくれたのだそうです。
アンズがいた場所は、造園会社の前で、たまたまそこにいた男性が声をかけ、
氷とタオルを持って来てくれたということでした。
主人はコンロの火を消し忘れ、青唐辛子を焦がしてしまいました。
そして、慌てて保冷剤とタオルを持って家を飛び出したのです。
私が家に帰るとアンズは保冷剤を頭と首にあてて横になっていましたが、
大分気分は良くなって落ち着いていました。
主人は、
「大変だったんだから。」と興奮が収まらない様子で何があったかを話してくれました。
主人がどれほどアンズのことを心配したのかは、よくわかりました。
アンズが言っていましたが、
主人は、
「なんで日陰を探して入らなかったんだ。」とは言いましたが、それほど怒らなかったそうです。
アンズは、もっと怒られると思っていたようです。
アンズは、お父さんが理解してくれないことは仕方がないけれど、
それでも理解してほしいと以前から思っていました。
アンズが時々、
「お父さんは私のこと『出来そこない』だと思っているよね。」と言っていることを話しました。
主人は、
「出来そこないだなんて思っていない。」と答えました。
「能力はあるし、感性も良いものを持っている。
俺に似た感性を持っていると思う。」と言いました。
そして、アンズが就職できなかった時に、一緒に仕事をしようと密かに考えていた計画のことを話してくれました。
私は、
「そこまで考えていたんだね・・・・。
アンズはお父さんと似た感性を持っていると私も思う。
アンズが、1番お父さんのことを理解していると思う。」と言いました。
私は2階に行って、主人の言葉をアンズに伝えました。
すると、アンズはうつむいてポロポロ涙をこぼしました。
「嬉しいの?」と聞くと、アンズは黙ってうなずきました。
アンズが不登校になって3年半、やっと家族の気持ちがひとつになったと感じました。
「もっと早く主人と話ができれば良かった。」と思います。
アンズを苦しめてしまったのは私の責任です。
でも、私と主人の性格を考えると、
わかってもらおうとすることは、かえってお互いを傷付け溝を深めると思ったのです。
戦うのではなく、今は休戦の時だと思っていました。
3年半は長かったけれど、主人に理解してもらうことができたのは、
今だからこそという気がするのです。
アンズは、お父さんに理解してもらえず、会話もなく、きっと寂しかったと思います。
でも、私もまた孤独でした。
アンズはいつも私のそばにいましたが、それだけでは埋められない寂しさがありました。
主人とはほとんど会話もなく、
アンズのことで相談もできず、
辛くても1人で耐えるしかありませんでした。
主人は元々興味のない話は聞きたくない人です。
これからも会話は少ないでしょう。
でも、今までよりもう少し主人に心を開けそうな気がします。
アンズが公立のC高校から私立の通信制、T高校への転校したいと決意した時、
1番最初の難関は主人でした。
まずは、学費のこと。
それから、主人がT高校を何かわけのわからない高校と思っているらしく、
公立にこだわっているようだということ。
主人が以前、アンズが学校を休みがちなことに対し、
「怒っている。」と言っていたこと。
アンズの不登校、病気のことに関して話題にすると不機嫌になり、関係のないことまで責めて来るということ。
アンズは病気のため、
非難されていると感じたり、プレッシャーを与えられると、
「自分はダメな人間なんだ。」というところから自己否定に入り込み、抜け出せなくなります。
医師からその状態から抜け出せないと具合が悪くなると言われているので、いつも神経を使います。
「最初にお母さんから話すから。
何を言われても、まずお母さんが受けるから。
お父さんにも気持ちを整理する時間が必要だと思うから。
それから必要ならアンズと話せばいい。」
私がそう言うと、アンズは、
「お母さんがそこまで覚悟しているんだったら、私も頑張る。」と言いました。
主人は意にそぐわないことがあると、すぐ
「もういい。」と言う人です。
それは、
「別に俺は何もしないし、助けないし、勝手にすればいい。」ということです。
アンズは、
「お父さんに見捨てられたらどうしよう。」と言いました。
私は、
「大丈夫よ。」と答えましたが、それもあり得ない話ではないと、以前から思っていました。
主人がお酒を飲んでいない時の方がいいと思い、日曜の朝、私は意を決して主人に話しました。
アンズが頑張るたびに具合が悪くなってきたということ。
病気のこと。
アンズは意欲もあり、とても頑張り屋さんだということ。
勉強はしたいのに、学校に行くことで具合が悪くなり、かえって勉強ができなくなっているということ。
許してもらえるなら、T高校へ転校したいということ。
そして、
『嫌なことから逃げるのではなく、夢をかなえるために1番良い方法を選びたい。』というアンズの言葉。
主人は最初から最後まで静かに話を聞いてくれました。
きつい言葉を投げかけることもなく、
声を荒げることもなく。
私は正直驚きましたが、とても嬉しかったのです。
学費のことも何とかなると言ってくれました。
そう言えば、今年に入った頃からでしょうか。
主人はあまり怒らなくなりました。
主人の中で、何があったのかはわかりませんが。
「もっと動揺すると思っていた。」そう私が言うと、
主人は、
「覚悟なんか中学の時からしていた。
だって赤い印が付けてあるじゃないか。」と言いました。
主人が言った赤い印とは、私が付けた欠席の印のことです。
でも、主人は、まだC高校を諦めきれないようでした。
無理もありません。
私だって、アンズの姿を見ながら徐々に気持ちの整理をしてきたのですから。
主人が、
「学校の先生に相談してから。」と言うので、
すぐに担任の先生に連絡を取り、その日は文化祭ということもあり、お時間を取っていただきました。
担任の先生と、カウンセラーの先生の話をうかがい、
T高校の話も聞くことができ、主人も気持ちが固まったようでした。
それからの主人は、いつものように主導権を握ることなく、
自分の意見は言いますが、全て私とアンズに任せてくれました。
何か、主人が以前と変わったことを感じました。