中学3年の秋より完全な不登校になっていた冬、進路を決めた時でした。
私は、不登校児の親のための講座で良い高校だと聞いていたT高校のことを主人に話しました。
「良いところは、個別指導だから、人と関わることにストレスを感じるアンズには合っていると思う。」と言いました。
主人は、
「だって私立だろう?」と言いました
学費のことを言われたら、仕事をしておらず、経済的に依存している私は何も言えませんでした。
アンズには、「公立」という選択肢しかありませんでしたが、夢をかなえるため、
「私、C高校に行ったら頑張る。」と、目を輝かせていました。

C高校に入って2ヶ月、アンズは1日も休みませんでした。
でも、だんだん疲れがたまってきたことはわかりました。
「今日、学校休む。」
突然そう言ったアンズは、急に休みが増え、1週間ほとんど学校に行かなかった週もありました。
それでも、テストは受け、夏休みを終えると、
元気を回復したアンズは、中学の時のように1週間に1日か2日休みながら学校に通いました。
再び12月に休みが増えた時は、出席時間数が足りないと単位を落としてしまうので、
辛くてもあまり休めませんでした。
その後、長期休みでも回復できず、具合はだんだん悪くなる一方でした。
それでも、必死の思いで1年生の単位はひとつも落とすことなく全部とりました。
「春休みは長いから、その間に元気を回復して2年生を迎えられればいい。」
その時はまだそう思っていました。
でも、一方で、
「5か月休んで1番良い状態で入学したのに、やっとの思いで単位を取った。
2年生はもっと厳しくなるだろう。」とも思っていました。
だから、主人に、
「12月から具合が悪くて、かなり大変だったんだけれど、何とか単位を全部とれました。
よく頑張りました。」と伝えました。
主人は、
「はい。」とひとこと言っただけでした。

私は、アンズが学校を休みがちになった時も、そのことを主人には話しませんでした。
主人がアンズを責めたり、学校に行くようにとプレッシャーを与えることで、
アンズの症状が悪化したり、アンズのペースを守れず無理をして、自体が悪化することを恐れたからです。
アンズが中学を休みがちになったとき、
「アンズ、今日学校休むって。」と言ったら、
「それが?」と言われ、
「ああ、そういう報告はいらないんだな。」と思った事もあります。
私が死ぬほど心配しているのに、心配性の主人はもっと心配するだろうと思った事もあります。
同じ辛さを主人にも味わわせたくなかったのです。
私は、アンズが高校を休み始めてからずっと、年間計画表に休んだ日と授業に赤い印をつけていました。
それは、欠課数を把握するためでしたが、
主人の目に入る所に貼っていたのは、主人が見ても構わないと思ったからです。
それは、あるていど主人にも覚悟しいていてほしいという思いがあったからです。
突然知るほうがショックも大きいですから。
矛盾しているようですが、どっちつかずの状態が、時には必要になる時もあるのだと思います。

中学1年生の3学期、アンズが心療内科に通い始め、やがて1週間に1日程度学校を休むようになると、
主人はアンズに対し、
「怒っている。」と言いました。
私が、
「不登校児の親のための講座で、
『無理に学校に行かせると本当の不登校になってしまう。』と言われた。」と言っても、
「ストレスやプレッシャーを与えるとますます事態は悪化するから。」と言っても、
「わからない。」と言いました。

私が分かってもらおうと思って話しても、私のことを
「怒っている。」と言い、
私がいくら
「怒っていない。」と言っても信じてもらえませんでした。
主人は機嫌が悪くなり、関係のないことまで責めてくるようになったので、それがストレスになりました。
私は疲れ果て、自分の病気を悪化させないためにも、わかってもらおうとすることをやめました。
主人が、自分のやりたいようにやりたい人で、
それほどわからない人ではないけれど、一筋縄ではいかない人だということもありました。
今の状況で分かってもらおうとすることは、主人にとってもストレスになるとも思いました。

それから、主人は食事をする以外は、ほとんど自室で過ごすようになりました。
それでも主人がアンズに対し、ほぼ何も言わないでいてくれたことは感謝しています。
たまに主人がたまりかねて、アンズに対し、
「自分でダメにしちゃっている。」
「もう半分ダメになっているけどな。」などと言った言葉は、いつも悪い方向に働きました。

アンズが中学3年の秋から完全な不登校になっていたとき、
心療内科の先生に、
「自分が悪いんだと思わずに、病気のせいだと思うようにしてください。
自分が悪いんだと思うと、病気が悪化するからです。」と言われたことを話しました。
すると主人は、
病気だからと言って、それを克服しないでどうする。
何も言わないでいるんだから、それでいいだろう?と言って、また普段言わないことで責めてきました。
自分が責められていると思ったのでしょうか?
私の言い方が悪かったのでしょうか?
それからまた、アンズの不登校のこと、病気のことについて、お互い何も言わない日が続きました。

作業療法士になり、精神科の病院で働いている長女が言っていましたが、
「(心の)病気の人は、フィルターが穴だらけの状態なので、
物事(嫌なこと、辛いこと、恐怖、不安など)が直接頭の中に入ってくることで、より強いストレスを感じる。
のだそうです。
アンズはまさにその状態ですが、
神経症という病気を持つ私もまたそうなのだと最近気付きました。
大したことではないと自分で分かっていても、とても辛く感じることがあるのです。
主人がとても怖かったのです。
この頃から、主人に対し、敬語で話す事が多くなりました。
それは、自分の意にそぐわないと、すぐ不機嫌になる主人から自分を守るための行動でした。

今でも思いますが、主人のように、不登校の子どもに対し、
怒ったりなだめたりしながら、何とか学校に行かせようとするのは、
ごく普通の親の反応だと思います。
前回のブログにも少し書きましたが、
アンズは、
『平坦な道より、でこぼこ道のほうが楽しい。』とポジティブに考えるようにしているのではなく、
本気でそう思っているのだと言いました。
「それが私の生き方なんだと思う。」と言いました。

それが、アンズが自分で頑張り、苦しんでたどり着いた答えなのだと思います。
久しぶりにブログを書きます。
アンズがずっと具合が悪く、そんなアンズを放っておけず余裕がありませんでした。
そのうえ、私自身神経症という病気なので心身ともに疲れてしまい、気力もありませんでした。
「書きたい。」と、心がふるえることもありませんでした。
でも、毎日の家事(食事、買い物、洗濯)はそれほど苦労せずできたので助かりました。
(3週間掃除しなかったこともあったナ。
「掃除すれば気持ちが良いのに。」と思うのに、気力がわかずできないのです。)
でも、みなさんのブログは読んでいましたよ。

昨年12月に調子を崩してから、アンズは頑張るたびに具合が悪くなっていきました。
それまでは、長期休みに回復し、元気を取り戻して学校に通うことができたのですが。
それもできなくなってきました。
それでも、単位を取るために休みながら必死で学校に通い、1年生の分の単位を全部取ることができました。
(3月7日ブログ「最後までやり遂げました」http://blogs.yahoo.co.jp/maikyonizu/40488796.html)
2年生に進級したアンズは、だんだん学校を休むことが多くなり、
学校に行くたび具合が悪くなっていきました。
(7月5日ブログ「頑張った先にあるもの」http://blogs.yahoo.co.jp/maikyonizu/40716153.html)
いつもは学校が休みになると調子も良くなり、元気を取り戻していたアンズですが、
今年の夏休みは時々具合が悪くなることもありました。
休み明けに1日学校に行き、翌週も火曜日に学校に行きましたが、
「もう限界」だと思い、1時間で帰って来ました。
夏休み前から、今在籍している昼間の定時制の高校から通信制の高校への転校を考えていたアンズですが、
幾日か私と話をし、心療内科の先生にも意見を伺い、最後に友達と話した時に、
「後悔しない?」と聞かれ、
「うん。」と答えた時に決意が固まったようです。
すっきりした顔をしていました。

アンズにはグラフィックデザイナーになりたいという夢があります。
専門学校のオープンキャンパスにも一緒に行き、さらに夢を膨らませたようです。
夢をかなえるために高校を卒業したいし、そのためには勉強もしたいのに、
今は単位に追われて、頑張っても、頑張ってもなお具合が悪くなり、
かえって勉強ができなくなっていると言います。
そんな中、単位を取るためだけに学校に行くのは、やりがいも生きがいも見つけられず辛いと言います。
こんな状態では、既定の6年間で卒業することは無理だと感じていると言います。
「嫌なことから逃げるのではなく、夢をかなえるために1番良い方法を選びたい。と言っていました。
アンズが「嫌なことから逃げるのではなく。」と言えるのは、
アンズ自身、「もう少し頑張れば良かった。」という思いがないとは言えないかも知れないけれど、
(私はそうは思いませんが、アンズはいつもそう言います。)
精いっぱい頑張り、もうこれ以上は無理だと感じているからではないでしょうか。
「もう無理」だというのは、弱音ではなく、心の底からそう感じているだと思います。

私は、「頑張りなさい。」とも、「頑張らなくてもいい。」とも言いませんでした。
それでも、たまらず、
「取れそうな単位だけ取ればいいんじゃない?」と言ったことがあります。
アンズは、
「嫌だ。」と答えました。
「1個2個、単位を落としてもいいと思ったら、全部落としちゃうよ。」と言いました。
自分の考えをしっかり持っていて、そのために精いっぱい頑張る子なのです。
そう言えば、小さい頃からそう願って育ててきたような気がします。

アンズは、
「『平坦な道より、でこぼこ道のほうが楽しい。』とポジティブに考えている。」
「病気になって成長できたこともある。病気になって良かったと思う。」と言います。
病気の症状が現われ、死んでしまうのではないかというくらいの辛い気持ちに支配され、
頑張っても、頑張っても具合が悪くなり、学校に行きたいのに行かれなくなるという中で、
「私はずっとこんななの?」
「私は夢を持っちゃいけないの?」と言って泣いたこともありました。
それなのに、そう言えるアンズは、私よりずっと強い子だと思います。
お久しぶりです。
調子の悪いアンズのそばを離れられなかったということもあります。
私自身が、疲れもあったのでしょうか。
ブログを更新する気持ちになれなかったということもあります。
今日は書きたい気持ちになったので、久しぶりに更新します。

高校2年生になったアンズは、6月になって、徐々に休みが増え始め、ほとんど学校に行かれなくなりました。
授業を受けるのが辛くて、5分ごとに時計を見ていると言っていました。
学校に行けば、家に帰ってから具合が悪くなり、(無気力感、気分の辛さ。)それは夜まで続きました。
学校に行って友達に会っても気分が乗らず、うつむいていると、
「大丈夫?」と顔をのぞき込まれるのが、たまらなく嫌だと言ったアンズは、
それから4日間学校を休みました。
アンズは、
「もう、頑張りたくない。
こんなことが、あと2年も3年も続くと思うと頑張れない。」と言いました。
(アンズの通う学校は4年制で、6年以内に既定の単位をとらなければ卒業できません。)
私は、アンズが辛くて、辛くて、それでも頑張っている姿を見ているので、
「それでも頑張りなさい。」とは、とても言えませんでした。
「頑張らなくてもいいよ。」とも言えませんでした。
それは、私が言うことではなく、アンズ自身が決めることだからです。
私はただ、
「頑張りたくないんだね。」と、アンズの言葉を繰り返しながら、アンズの話を聞きました。
アンズが、自分で考えながら話すことができる手助けになるためです。
アンズは、高校をやめた後のことも考え始めていました。

それでもその日の深夜、アンズは、
「今決めなくても、いいのかな。
もうちょっと頑張ってみようかな。」と言いました。
そして、
「教室に入れないから。」と、翌週のテストは先生にお願いして、別室で受けさせてもらいました。

4日間のテストを終えたアンズはまた言いました。
「先のことを考えるから辛くなるんだと思う。
例えダメでも、頑張った先に何かあるかも知れないから、もう少し頑張ってみようと思う。」と。

強い子だと思います。

私は、
「アンズは強いね。
アンズがやりたいようにすればいいよ。」と答えました。
今年度最後の授業が終わりました。
単位を落とした子は居残りがあったようですが、アンズは全部とれたみたいです。

12月に入ってから調子を崩したアンズは、学校を休みがちになりました。
アンズは、それでも、進学の時に不利になりたくないと、
「単位は落としたくない。」と言いました。

アンズは、
「もう、全部やめちゃいたい。」と言ったこともあります。
「もう、頑張りたくない。」と言ったこともあります。
辛いからそう言うのですが、心の底では「単位を取りたい。」と思っているのです。
そんな時に、
「頑張らなくちゃ。」と言うのは酷な話です。
そんな日の翌日は学校を休みましたが、
次の日はまた学校に行きました。

「私、新しい目標ができた。」と言ったことがあります。
「4月まで生きること。」
私は絶句しました。
これが10代の子どもの言うことでしょうか?
そのときのアンズは、それほど追い詰められていたのでしょう。

最後の授業がお昼ごろ終わったその日、アンズに言いました。
「ケーキを買いに行く?
パフェを食べに行ってもいいし、
ガストでお昼でもいいよ。」
「ガストがいい。」

いつもは、デザートは頼まないのですが、
「今日はいいよ。」と言いました。
アンズは、オムライスとクレープを、本当においしそうな顔で食べて、
「幸せ。」と言いました。
1週間の休みを終えて少し元気になったアンズですが、調子は万全とは言えません。
あと3週間で春休みですが、無事乗り切れるか不安です。
今週のテストは無事終えましたが、来週は授業があります。
時間割がまだ出ていないのでわかりませんが、
単位を取るためには1日も休めないかも知れません。
欠席が多く、それだけ切羽詰まった状況なのです。
それは、1週間に1日か2日休むアンズにとって、どれだけ大変かと思います。

でも、ここまで頑張ってきて、単位を落とすのはあまりに可哀そうです。
来年、また同じことを繰り返すのは辛いだろうなと思うのです。
心配で、毎日身を削る思いでいますが、
私が心配そうな顔をすると、ただでさえ不安な思いでいるアンズはもっと不安になります。
不安になると、大変なことがもっと大変だと感じて辛くなるのだそうです。
「きっと大丈夫。」と、自分をふるい立たせているのです。
だから、不安は笑顔の下にかくして、
あと2週間と2日をアンズと一緒に乗り切ろうと思います。
アンズは12月に入って調子を崩し、
単位を取るためにはもうあまり休めないのに、時々学校を休みました。
「頑張るしかない。」と言う日や、
「もう、全部やめちゃいたい。」と言う日もありました。
「全部やめちゃいたい。」と言う時は調子が悪いときです。
辛いからそう言うのですが、心の底では「頑張って単位を取りたい。」と思っているのです。
そんな時に、
「頑張らなくちゃ。」と言うのは酷な話です。
そんな時私は、アンズの辛さが少しでも和らぐよう、話しかけたり歌を歌ったりしました。
歌を歌う・・・・私には、もうそれしか思い浮かばなかったのです。
少しでも気分が変わるきっかけになればいいと思いました。
辛い気分の時、放っておくとますますその中に入り込んでしまい、具合が悪くなってしまいます。
気をそらすこと、流すことは医師からも指示されています。
それは、「統合失調症にならないように治療しましょう。」と言われているアンズに対して指示されたことです。
私は、アンズが辛そうなそぶりを見せればすぐにアンズのそばに飛んで行きました。
そんなことが1日中続いた日もありました。
私も疲れ果てました。

アンズが無理をすれば、具合が悪くなることはわかっていました。
学校に全く行かれなくなることも考えられます。
私はアンズが学校に行っても、休んでも心配でした。
でも、アンズが立て続けに学校を休んでも、
「学校に行きなさい。」とは言いませんでした。
アンズが本当に辛そうに学校に行く準備をしていても、
「今日は休んだら?」とも言いませんでした。
アンズは、学校から送られてきた欠課表
(授業を欠席した回数が教科ごとに書かれています。
これを見ればあと何回休んだら単位を落とすかがわかります。)を見ながら、自分で決めました。
きっと、アンズの判断が1番正しいのです。
アンズは無意識に自分で調整しているのだと思います。
それに、自分で決めることが大切なのだと思います。
自分で決めて行動したことは、自分で納得して行動できます。
それに、あとあと、どんな結果になっても、自分で納得できますから。

神経症という病気を持っている私は疲れやすく、
気を張っていられるのは1ヶ月が限度です。
でも、アンズが頑張っているのだから、私が弱音を吐くわけにはいきません。
最後まで支え抜きます。


12月に入ってから調子を崩したアンズですが、よく頑張っています。
学校は休みながら何とか通っています。
私も精いっぱいアンズを支えてきました。
私はアンズが4月からずっと頑張ってきたことを知っているので、
何とか単位を取らせてあげたいと思うのですが、出席数が足りなければ単位は取れません。
今、崖っぷちの状態です。
でも、私にできることはアンズを支えることだけです。
アンズは自分の足で歩いて行かなければならないのですから

あと1週間行けば、入試期間の9日間は休みになります。
その間にしかっり休めたらいいなと思っています。
休みが待ち遠しいです。
12月前半、調子を崩したアンズは半分以上学校を休みました。
これ以上休んだら単位が危ないと感じたアンズは、
「頑張るしかない。」と、気力を振り絞り、それからは1日も休みませんでした。
私はアンズが学校を休んでも、学校に行っても心配でした。
無理をすれば具合が悪くなるからです。
懇談会で4日間半日だったことも助かりました。
23日の祝日にも救われました。
天皇陛下に感謝です。
 
アンズが調子が悪いとき、気分が落ち込んで突っ伏しているとき、
とにかく放っておかないようにしました。
話しかけたり、アンズの好きな歌を歌ったり、アンズの好きなちゅうえいのギャグもやりました。
こんな時は気分を変えないと、ますます具合が悪くなるからです。
アンズは、
「お母さん、ありがとう。」と言ってくれました。
それからアンズは、気分が落ち込みそうなとき、何かをすることを思いつきました。
片付けや整理が苦手なアンズがあちこち片付け始めました。
居間の自分のスペース、自分の部屋、タンスの上や私の部屋に山積みになっていた洋服、ets・・・
もう、片付けるところはありません。
 
そして今日から冬休みです。
今朝、私が買い物から帰ると、起きてきたアンズがパジャマで台所に立っていました。
「私、お料理が苦手。」と言っていたアンズが台所に立つなんて珍しいことです。
のぞき込むと、フレンチトーストだとわかりました。
テーブルの上のスマホにレシピが出ていました。
できあがったフレンチトーストを、アンズは、
「おいしい。」と言って食べました。
「明日も作る?」と聞いたら、
「作らない。」と答えました。
「お母さんがいなかったから作る気になったけど、いたら作ってもらった。」と。
 
この休みの間にしっかり休養できたらいいなと思います。