4月23日の花言葉
カンパニュラ
感謝・誠実・大望・抱負・友情・節操・共感

~4/23のマザーテレサの言葉~
今日の若者は、すべて与えるか、何も与えないか、
ただひとつのことに向かっています。
このことが、
わたしがここにくることを承諾した理由のひとつです。
すべての人々、
ガンジーの働きに関係するであろう若い男性も女性も、
ガンジーに与えられた神の贈り物を広めるために、
人生をささげることを、わたしは願っています。
神からのガンジーへの贈り物、
それは、
彼の人々に対する愛であり、
非暴力主義への愛です。
(マザーテレサ)

「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。」これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。(ローマ 10:8)
「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。
ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。 「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。
御言葉はこのように続きます。
今日は愛する父の13回目の召天記念日です。
私にとって13年目という年月は早すぎた時でもありました。
今もBA.3.2に変異して続いている新型コロナ。
新型コロナを体験することなく、両親が天に帰っていたことは幸いでした。
どこまでも共存できないものが存在することは本当に恐怖です。
命の支配者は唯一、天地創造の神です。
「生まれるに時があり、死ぬるに時がある」
と伝道の書に書かれています。
神さまのみてのなかで平安に天に帰った父と、数か月間会話をすることができた奇跡には、正直言って驚きました。
本当に聖霊さまが働かれている。
亡くなった人と会話ができるなんて・・・
”「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。(マルコ10:27)”
神さまの憐みの優しさを思い感謝過ぎる日々になっていました。礼拝の中にも天と地を一つとされていることを理解できるようになりました。
人知を遥かに超えた神の愛の御業には、ただただ感謝でいっぱいです。
地上でのいのちの最期の日の朝、父の手を取って祈り、父を天の父なる神さまの元に送れたことは、本当に感謝でした。
父が神さまの不思議な方法で救われ、永遠の命を得ていたこと、
私が何かしようとして救われたのではなかったからこそ、神は私の主だと断言します。
御言葉に力があります。
イエスキリストの名前に力があります。
祈る者の祈りは確実に神に届いていること。
日ごとに、事あるごとにそのことを信じられることは、嬉しい感謝です。
今朝、目が覚めてベランダを見ると、昨日膨らんでいた躑躅のつぼみが開花していました。
お隣りの街、新杉田のお祭りでいただいた躑躅(ツツジ)です。
父の召天の日、熊本の生家に満開に咲いていた躑躅の記憶があります。その躑躅が横浜の自宅でも。
父の召天記念日に合わせて開花してくれたことに、
天からの祈りとしるしを見せられた気がしました。
咲いてくれてありがとう!!
どんなに懇願しても動かない偶像にお金や物を積み込み、 お経や念仏を唱えていた家に灯された愛と命の光。 偶像崇拝とも知らなかった両親を瞬時に変えた神の愛。
束縛しない自由を得させてくださった神の愛は、永遠の命へとつながっていました。父は病も苦しみも痛みもない天国にいます。
天国へのチケットを得て生きる人生には平和が与えられています。父の洗礼後の人生を見ても、これまでの人生で救われた人たちを見てもわかります。
「わたしは道であり真理であり命である」
と言われたイエスさまの言葉は永遠であり、真実です。
愛の光は信じる者たちの救いです。
お花たちと一緒に召天記念礼拝を心からの感謝と共に
神さまにお捧げしました。
神がわたしのために、命を捨てて十字架に架かられて傷だらけになって血を流して救ってくださった。
すべての悲しみ苦しみ、人間が持つすべての罪も十字架で完成してくださいました。
すべての人のために命を捨ててくださって神の前に出ることなどできないものをご自分と同じ身分にしてくださいました。
神が十字架で私の罪のために命を捨てて死なれた愛以上にほんとうの愛はありません。
偶像にはできない愛の証明です。
インマヌエルの主は永遠まで共におられます。
神がその命を捨てられたほどにあなたは愛されているのです。
今日もそのみ声を聴きます。
そしてそれは、一人も漏れることなく
すべての人に与えられている声です。
インマヌエルの主に感謝を込めて。
NameJesus,Amen.




















































