葬送の道具も昔と比べて随分と省かれました。
多分、この六灯籠(六道)もそのうちなくなるのでしょう。
いくらこの道具にはこんな意味があったのだと説いたところで、「意味」だけでは残りません。
やはりもともとは「実際の必要性(実用性)」を持っていたからこそ定着してきたはずです。
六灯籠も、単なる象徴ではなく、もともとは夜道や野辺送りの実用品でした。
夕刻から夜にかけて行う土葬の葬列において、暗い道を照らし、死に対する遺族の不安を和らげるための「灯り」だったのです。
そこに後から、「六道を照らす光」「六地蔵の導き」「お盆に故人が家に帰ってくる道標」といった意味づけがなされていったはずです。
まず実用品があり、意味は後付けというのが基本的な流れです。
それ故、実用性が完全に失われた現代において、それが省かれたり消えていったりするのは自然な流れなのかと思います。
むしろ危険なのは、「昔からあるから残せ」「意味があるから残せ」だけになることかもしれません。
それを「形骸化」といいます。
ですから、形そのものを無理に保存しようとするよりも、新たな実用性ある物に、「亡き人への想い」や「残された者たちがどう生きるべきか」という仏心を込めていくことこそ大切なことではないでしょうか。
形が変わることを恐れず、込められていた心を繋げていければいいなって思います。
